数日前に、文部科学省が2010年11月に設置した「外国語能力の向上に関する検討会」(座長:吉田研作上智大学教授)が審議のまとめとして「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策~英語を学ぶ意欲と使う機会の充実を通じた確かなコミュニケーション能力の育成に向けて~」をとりまとめたことについて書きました。 この報告書の題名(「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」)には仕掛けがしてあるように思えたのですが、果たして、その題名を読んだり、聞いたりした人がそれに気づくか、ちょっと興味があったので、数日、様子を見ていました。知りえる限りでは、その「仕掛け」について指摘した人はいないので、文部科学省の狙いは空振りに終わってしまったかもしれません。 どこに仕掛けが?ですか?「国際共通語としての英語力向上」の部分です。 (1) 国際共通語としての英語 は(その捉え方に賛成するか、反対するかは別にして)日本語の表現として問題ありません。 (2) 国際共通語としての英語力 となると、おかしいですね。前半は「(言)語」のことを言っているのに、後半は「(英語)力」になっているのですから。ですから、この報告書の題名が (3) 国際共通語としての英語力の向上のための5つの提言と具体的施策 となっていたら、だれでも、おかしい!と感じたはずです。 しかし、(4)となると、あらあら不思議、おかしさの度合いが少なくとも低くなります。人によってはおかしさに気づかないこともあります。 (4) 国際共通語としての英語力向上 (4)はこんな成り立ちになっています。 (5) [[[国際共通語としての英語]力]向上] でも、「国際共通語としての英語」の部分は句になっていますから、こんな複合はできないはずです。事実、(2)はだめです。しかし、(5)のようになると、おかしさに気づきにくくなる。なぜそうなるのか、非常におもしろい問題です。模範解答は存在しません。わたくし自身は(5)ぐらい入り込んだ構造になると、読む人は構造分析をせずに理解を進めようとするため、造語法に違反してもなんとなくわかってしまうということではないかと考え始めていますが、まだつめていません。 語形成の専門家にも尋ねましたが、おもしろい例であるという点についてお墨付きをもらいました。「おもしろい例」である理由の一つは模範解答がないという点です。さすが、文部科学省、こんなところで、さりげなく、国民のことばへの気づきを誘発させ、併せて、語形成論の発展に寄与しようというのかもしれません。 そうそう、 (6) 「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想/行動計画 という名前にも仕掛けがしてあるのかもしれません。もっともこちらはごく単純ですがね。だれでもわかりますよね。「の」の連続です。Wordですら警告してくれます。 この連休はなでしこジャパンの話題で埋め尽くされましたが、「感動をもらった」の使用頻度もうなぎのぼりでしたね。こちらはかなりの人が違和感を覚えているようで、ネット上でも話題になっています。「感動をもらう」に比べると、「勇気をもらう」のほうは多少、許容度が増すという人もいるようですが、 http://yeemar.seesaa.net/article/12422967.html を読むと、やはりしばしば使われるようになったのは最近のことのようです。
ことばへの気づき 実例
更新日:2020年3月21日
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