院生の永井です。
去る11月2,3日にプロジェクト言語教育第三回研究会が開催されました。
今回の研究会では、三森ゆりか先生(つくば言語技術教育研究所)、末岡敏明先生(東京学芸大学附属小金井中学校)、森山卓郎先生(京都教育大学)の研究報告と、12月の言語教育シンポジウムに向けての話し合いが行われました。(研究報告についての報告書はまとまり次第HPに掲載いたします。)
ここでは先生方のご報告のテーマを掲載し、私から簡単なご報告をさせていただきます。
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・三森ゆりか 先生
「言語技術」
・末岡敏明 先生
数学のことば、理科のことば、国語のことば-学校教育の中での言語教育の役割-
・森山卓郎 先生
「言葉への気づき」あるいは「母語への意識化」
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三森先生には、先生の提唱されている「言語技術」について改めて解説、そして実際に授業を体験させていただきました。授業を体験し、その効果に驚きながらも、やはりそれを裏付けしている理論の強固さを感じました。西洋生まれのLanguage Arts(言語技術)ですが、何千年もの伝統の中で、洗練されたその体系性には本当に驚きです。一時期日本においてオバマ大統領のスピーチが話題になりましたが、彼のスピーチは、何のことはなく、欧米の教育による当然の産物だったということです。むしろ、日本でそれが話題になるということに、日本の言語教育と欧米の言語教育の根本的相違が見られるのではないでしょうか。
末岡先生には、今回、「言語教育はすべての教科で」という考え方についてご自身のお考えを披露していただきました。“数学、理科をはじめとして、どの教科も「内容」にばかり目を向けて指導しており、その奥に流れている「論理」に気づいていない。つまりどの教科にも、論理的思考力を養う可能性がある。しかも、それぞれの教科が異なる論理性をもっており、それらが統合されることが重要。”というご意見には、なるほどと思いました。まだ、その「論理」が言語教育とどう関わっているのかというところははっきりしないところがありますが、今後「すべての教科で」ということを考える際の基盤の一つとして、「論理」がその候補として挙がってくるでしょう。
森山先生には、母語の意識化ということと関係して、「注意深い運用」と「知識」の二つの側面について話をしていただきました。母語の意識化によって、効果的な言語運用が可能になるという場合、その中には、不注意なパフォーマンス(読み間違い)を防ぐということもあります。それを可能にするためには、私たちが普段言葉を用いて何気なくこなしていることに対し、少し立ち止まってみることが重要です。教師の面から言うならば、意図的に学習者に立ち止まらせてみることが大切です。立ち止まらせるというのは、意識に上らせるということとほぼ同じであり、ことばについて普段は無意識にできていたことに、あえて意識を向けさせるということです。私たちは、普段はできていても、意識するとできなくなることが多数あることを経験的に知っています。母語の意識化とは、それを意図的にことばについて行うという行為です。そういった体験をし、そして訓練を通じてそれを克服することで、ことばへの意識が飛躍的に高まり、ことばを客体物として運用する能力が向上すると考えられます。そして、ことばへの意識の高まりと合わせて、その裏にある仕組みを知識として教えることで、学習者はことばをより良く理解でき、それが彼らの今後の言語運用に生かされていくことになるのです。
今回の研究会は、言語技術教育と国語教育の相違点、言語教育の中での言語技術教育、国語教育の位置づけなど、新たに考えさせられることが多々ありました。「言語技術」、「ことばへの気づき」、「母語の意識化」、「論理」などのキーワードがそれぞれにどのような関係性を持ち、最終的にどのように「言語教育」の中に埋め込まれていくのか、今後に期待したいと思います。
このような研究会によって培われた成果を具現化したものが12月に開かれる言語教育シンポジウムです。ことばについて関心をお持ちのみなさまにはぜひ会場まで足を運んでいただき、一緒に言語教育について考えていただければと思います。
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