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美加 五十嵐

小学校のクラス会

更新日:2020年3月21日


きょうは久しぶりに日常の話題について書きます。

きのう、1月8日、東京都大田区の蒲田(「大田区」は「大」森と蒲「田」の意)で、小学校のクラス会が開かれました。《久しぶりだったのでしょうね》とお思いかもしれません。いや、そうではないのです。このクラス会、卒業以来、毎年開いているのです。「麦の芽会」という立派な名前もついています。

私立の小学校ではありません。東京都大田区立北糀谷(きたこうじや)小学校という学校です。わたしたちは戦後のベビーブーマー(いわゆる、「団塊の世代」)でしたので、1学年5クラスで、1クラス約50人という大所帯です。

わたしたちのクラスは、1年生から3年生までを飯野美智子先生、4年生から6年生までを山路峯男先生という2人の担任の先生に指導していただきました。クラス替えはなく、6年間、同じ仲間で、一緒に過ごしました。

山路先生の発案で、麦の芽会はしばらくの間、1月15日の成人の日に開いていました。祝日の制度が変わってからは、成人の日(1月の第二月曜日)の前日の日曜日に開くことにしています。

今回(第53回)もお2人の先生方を含め、15人が集まりました。参加はできなかったけれど、最近の様子を伝えてくれた仲間が12人いますので、合計27人、卒業後、50年を経てのクラス会としてはすばらしい「参加率」だと思います。

流れは毎年同じで、まず、午後2時に鎌倉屋さんという小料理屋さんの2階に集まります。会費は男性6千円、女性5千円です。男女差があるのは、小学校卒業当時の日本社会、とくに、保守性の強い、糀谷地区の状況を反映したものです。現在でも、「記念」として残してあります。

まずは、山路先生と飯野先生からごあいさつをいただき、乾杯。歓談の後、参加者の近況報告になります。わたくしはこの部分がとても好きです。毎年やっていますので、昔話はちょっとしかでません。むしろ、いまをどう生きているのかという話が主になります。しかも、気どらず、自慢話の類もあまりしません。

ことしは、3.11、どうしていたかということも報告し合いました。やはり、あの震災は一人一人の生き方に強い影響を与えたようです。ちなみに、3.11は山路先生のお誕生日ということも知りました。これで、みんな、山路先生のお誕生日を忘れることはありません。

そうこうしているうちに、3時間はあっという間に過ぎます。午後5時、北糀谷小学校児童会の歌を飯野先生の指揮のもと、合唱し、会は終わります。

と言っても、それは一次会の話で、ほぼ全員が二次会のカラオケへ向かいます。リビエラというカラオケスナックです。毎年行きますので、マスター(このかたがまた役者で、会を大いに盛り上げてくれます)の会話も弾みます。歌の上手下手はあるのですが、わたくしのような音痴(これはほんとうなのです。カラオケ好きなので、さぞうまいと思っているかたも多いのですが、それは間違いです。波多野誼余夫先生はそのことを知ることなく、逝ってしまわれました)も気兼ねすることなく、どんどん歌います。ウィスキーの水割りに乾きもののおつまみで、二次会は延々と午後10時過ぎまで続きます。

最後は、5,6人が残り、ラーメン屋で締めとなります。健康については、翌日から気をつけることにしようということになっていますので、みんな、完食です。

わたくしはいつのころからか、この会の終身幹事をやっています。「やらされている」わけではなく、けっこう、楽しい。案内状を出すのは簡単です。往復はがきにお決まりの文言を書き、投函するだけ。あとは、鎌倉屋さんとリビエラに連絡して、予約すればよいのです。それでいて、参加者がみんな感謝してくれますので、ありがたいものです。

思い出話にふけるだけではないクラス会としての麦の芽会はわたくしの生活の重要な一部になっています。

最後に添付した読売新聞の記事は、数年前に、麦の芽会のことを紹介してくれたものです。

次回の麦の芽会は2013年1月13日です。午後2時から、鎌倉屋さんです。あ、すみません、会員限定です。


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