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慶應義塾大学 言語教育シンポジウム 報告

更新日:2020年3月21日

院生の永井です。

去る12月19日に慶應義塾大学言語教育シンポジウムが開催されました。 シンポジウム当日まで申し込みが相次いだという事実と違わず、教室はほぼ満員の大盛況でした。

以下において、私なりにご報告をいたしますが、ハンドブックをお読みなればお分かりになることは割愛させていただき、今回のシンポジウムの目玉でもあった実践報告についてご紹介をしたいと思います。

◆実践報告1 齋藤菊枝先生(埼玉県立大宮東高等学校)

 今回の齋藤先生のご実践に関してですが、子どもに気づかせる対象として選ばれた素材は主に二つです。一つは構造的あいまい性であり、もう一つは照応形です。もちろんどちらも言語学的な裏付けを持った素材です。  構造的あいまい性に気づかせるというのは比較的分かりやすく、要するに自然言語は、以下のように、ある一つの表現に対して、複数の構造を付与でき、あいまい性を持つという事実に気づかせるということです。

例)青い空を飛ぶ鳥

解釈A [[青い空]を飛ぶ鳥] → 青いのは空 解釈B [青い[空を飛ぶ鳥]] → 青いのは鳥

 ただ、子どもたちへの授業ということになると、段階を踏むことが大切で、この構造的あいまい性に気づかせる前に、まずは語のまとまりの作り方を理解させておく必要があります。語のまとまりというのは、上記の例の解釈Aでは、まず「青い」と「空」がくっついて、「青い空」というまとまりを成し、それに「を飛ぶ鳥」がくっついて解釈Aを生み出すということ、そして解釈Bではまず「空を飛ぶ」と「鳥」がくっついて、「空を飛ぶ鳥」というまとまりを成し、それに「青い」がくっついて解釈Bを生み出すということです。

 齋藤先生のご実践で言えば、以下のような形を児童に提示し、( )に何かを入れて表現を完成させるというものでした。

 こわい 目の (   )

 面白いことに、こういった場合、子どもたちはまず[こわい目の]でまとまりをつくった表現を思い浮かべるようです。例えば、「こわい目の先生」、「こわい目のお母さん」などです。これは大人も同様で、大人であれば、「こわい目の上司」、「こわい目の女房」といった、いかにも、という表現が出てきます。

 しばらく子ども達に自由に作品を提示させた後、[こわい[目の病気]]を提示すると一斉に「あぁ~」という声が出ます。実際に齋藤先生のご実践の中でもその反応が顕著に観察されました。この声こそが「ことばへの気づき」が生まれた瞬間であり、子どもたちのことばに対する視点が大きく変わった瞬間です。このように「まとまり」という概念を理解したのち、次のステップとして構造的あいまい性に子どもたちを向かわせると、子どもたちは夢中になり、結果として、さらに効果的に子どものメタ言語意識を高めることが可能になるわけです。

 ただ、今回の実践の中で驚いたのは、「こわい目の( )」の段階ですでに、「こわい目の形」や「こわい目の表現」という作品が出てきたことです。これらはすでに「目の形」、「目の表現」でまとまりができており、今回の実践の対象となっていた子どもたちのメタ言語意識の高さを個人的に感じました。

 照応形というのは、要するに日本語の「自分」や「自分自身」という表現のことですが、照応形については、基本的には、日本語の「自分」は指示対象を「自分自身」よりも広くとるという性質を持っています。例えば以下の例を比べてみてください。

例1)花子は太郎が自分を責めていると思っている。 例2)花子は太郎が自分自身を責めていると思っている。

 例1で「自分」は、花子と太郎のどちらでもその指示対象とすることができますが、例2で「自分自身」は太郎を指示対象とすることはできますが、花子はその指示対象にすることはできません。細かく言えば、こういった性質の違いが日本語の「自分」と「自分自身」にはあるわけですが、共通点としてはどちらも主語をその指示対象としているということです。

 今回の齋藤先生のご実践では、この共通性の方を生かして、例えば助詞を変えるなどの操作を加えて、「自分」や「自分自身」の指示対象が変化することに気づかせるという試みをされておられました。子どもたちも、普段無意識に使っている「自分」と「自分自身」に思いをめぐらせ、その違いを見つけるのに夢中になっていました。また、ある子どもは「自分のノート」と「自分自身のノート」に関して、その違いは「そのノートを使い込んだかどうかによる」という主旨の発言をしており、意味的な違いに言及している点で、非常に興味深いものでした。そういった、意味・ニュアンスに関わる違いということに関しては、言語学的な基盤は私は存じ上げませんが、この場合は正解を求めているわけではないので、このような子どもの独創性を尊重し、活発な議論につなげることが重要だと思います。また、今回の場合に関しては、その子の発言をうまく生かすことができれば、「表現の棲み分け」に気づかせるということも可能でしょう。(※棲み分けというのは、例えば、日本語の「取り戻す」と「取り返す」は一見似ていますが、実際は様々な点で異なる表現であり、それぞれ独自の性質を持つということです。例えば「健康を取り戻す」は言えますが、「健康を取り返す」とは言えません。)

 個人として欲を言えば、例1,2で挙げたような、構造的な違いによる「自分」と「自分自身」の違いもとても面白い素材ですので、ぜひ授業で活用してほしかったところではありますが、これに関しましては齋藤先生を始め、みなさまの今後のご実践に期待したいと思います。

◆実践報告2 末岡敏明先生(東京学芸大学附属小金井中学校)  末岡先生のご実践は我々が普段無意識に使っている言語音・発音に子どもの意識を向けさせるというものでした。このテーマを選ばれた背景には、末岡先生が日頃中学校で英語教師として教鞭をとられていることが大きく関わっています。つまり、中学校以降の英語教育から見て、小学校外国語活動で何をするべきかという視点で組み立てられたご実践でした。そして、そのテーマとして、一般に外国語の発音に関しては早くから学習を始める方が良いという想定があることを踏まえ、発音が選ばれたということです。

 実際に日本語と英語は、発音に関してもかなりの違いがあります。例えば母音に関しては、日本語の「あ/い/う/え/お」と英語の[a/i/u/e/o]はかなり異なるものです。後者の方が、より口(正確には唇)の形と舌の位置も変化させなければなりません。その意味で、まずは日本語でも、口の形で音声が変化するということに意識を向けさせておくことは後々英語を学ぶ上でも有益です。また、実際に子どもたちは、声を出さない伝言ゲームにおいて、楽しみながらも口の形に意識を向け、とても集中していました。

 また、その後のセッションでは、日本語の濁点とも絡めながら、無声音、有声音の違いに体験的に気づかせる試みが行われました。末岡先生のご指導のもと、子どもたちは日本語の濁点の意味に気づき、思わず「あぁ~、そうだったのか」という声も聞かれました。また、ここでは「体験的に」というのがとても重要で、子どもたちは実際に自分の口で発音してみることで、無声、有声の意味をしっかりと理解していました。この中でも、英語との関連で言えば、特に無声のコントロールは重要です。日本語は無声音で終わる単語はほとんどありませんが、英語ではbackのように最後が無声音で終わる単語がたくさんあるからです。子どもたちも今まであまり使ってこなかった発音に対して、苦戦しながらも、夢中になって取り組んでいました。

 末岡先生のご実践の中で印象に残ったのは、子どもというのは発音にとても興味を示すということです。私は(英語の)発音指導というのは何か地味で、訓練的な色彩の強いものであり、子どもはあまり興味を示さないのではと考えていましたが、ビデオの中で、子どもたちが自分が今まで使ってこなかった音声を聞き、それを自ら産出しようと夢中になっている姿がとても印象的でした。

 今回の実践では、末岡先生ご自身が英語教師であるということもあって、自らご発音なさることが可能であったわけですが、小学校の先生方におかれましては、ひょっとするとご自身で英語を発音をするのは難しいと思われたかもしれません。ですが、(英語の)ある種の音声に子どもたちの意識を向けることが目的であれば、すべての英語の発音をマスターする必要はなく、無声の[k]に絞って指導をするなど、工夫次第では十分にアクセス可能な素材であると思います。また、外国語活動という主旨を考えれば、英語という言語だけにこだわらず、先生方ご自身の方言を活用されても大変面白いかと思います。方言を積極的に活用することで、子どもたちの音声への意識を高めることは十分可能だと思います。(ただ、方言に関しても、母語とは言え、指導のためには自分がどのように発音をしているかを内省しておく必要があります。)

◆実践報告3 三森ゆりか先生(つくば言語技術教育研究所)

 三森先生のご実践は、先生がご提唱されておられる言語技術教育を小学校3年生を対象に行うというものでした。今回のご実践の指導項目は二つありまして、一つは「問答ゲーム」であり、もう一つは「分析」です。「問答ゲーム」は議論の方法論を身につけさせるためのゲームであり、「分析」は子どもたちにクリティカルシンキングを身につけさせるためのものです。授業自体も、系統立てておられ、授業前半で学んだ「問答ゲーム」を授業後半の「分析」における議論に活用する形になっており、三森先生のおっしゃる体系的な言語技術教育の縮図とも言えるご実践でした。(言語技術教育についてもっと詳しくお知りになりたい方は、三森先生のご著作、『外国語を身につけるための日本語レッスン』(白水社)や『外国語で発想するための日本語レッスン』(白水社)がおすすめです。)

 まず「問答ゲーム」に関してですが、小学校3年生は全く問題なく、議論の方法論を身につけることができていました。おそらく聴衆のみなさんは驚かれたと思います。子どもたちは、発言をするときには「主張→根拠」の話形を意識し、主語を抜かないという原則をしっかりと守ることができていました。さらに、子どもたちは、議論の方法論として最も大切なものの一つである「質問の仕方」もしっかりと理解し、例えば「”いろいろ”って例えば何ですか?」と、すぐに応用することができていました。本当に子どもたちの柔軟さには驚かされます。

 また、さらに重要なことは、その議論の方法論が後半の実践においても、十分に活用されていたということです。後半の「分析」では絵を素材に用いて、議論をしてものだったのですが(詳細はハンドブックを参照)、グループワークになった時に、子どもたちは「私は~だと思います。なぜなら~」という話形を保っていましたし、さらに驚いたのは「なぜ~だからといって~が言えるのですか」のような「質問」までできていたことです。そして、その後は活発な議論が続いていました。

 私はこれまで、たった一回の授業でここまで子どもたちに変化が現れた授業を見たことがありませんでした。もちろん、すべてがすべて三森先生お一人の力というわけではなく、子どもたちにもそれなりの素地があったことは予想されますが、それでもやはり子どもたちの柔軟性には驚かされました。また、よく巷で耳にする「英語は論理的な言語であり、日本語は非論理的な言語である」という俗説に対して、当たり前ながら「論理的な言語」というものは存在せず、要するに個人が言語を「論理的に使うかどうか」の問題だということも改めて感じました。このように、英語の力を借りることで、例えば論理的思考力、コミュニケーション能力が育成できるという考え方はかなり信じられているようですが、上のことを踏まえれば、日本語でも指導によって、そういった能力は十分に育成できるため、わざわざ外国語である英語の力を借りなくても良いのではないかと思います。(確かに、英語では日本語では言いづらいことが言い易いという面があることは否定しませんが、それで得られる成果と、同時間数における母語での指導によって得られる成果を比べた場合、後者の方がより効果的ではないか、ということです。)

 三森先生のお話では欧米では子どもたちは小さい時からlanguage artsとして、この種のことを体系的に学んでいるようです。そう考えると、今回のビデオで見たように、日本の子どもたちにも素晴らしい潜在能力があるにもかかわらず、彼らは言語技術教育を受けていないという現実がとても残念で仕方がありません。小学校外国語活動は小学校5、6年生で合わせて70時間ほどありますが、コストとパフォーマンスを考えて、その時間内に言語技術を組み込む可能性を真剣に考えていく必要がありそうです。

 最後に簡単に今回のシンポジウムの総括をいたしますが、今回のシンポジウムでは「実践」がテーマになっておりました。今まで、大津先生を始め、各先生方は様々な形で言語教育の重要性を訴えてこられ、このブログにても例えばプロジェクト言語教育の活動の経過をお伝えしてきましたが、では実際に具体的な授業の形に落とし込んだらどうなるのかということを提示するのが今回の主要なテーマでした。今回の実践ビデオの放映にて、ことばの授業における子どもたちの無限の可能性を見ていただき、小学校で実際に教鞭をとられておられる先生方にも、私たちの考える「言語教育」の可能性を感じていただけたのではないでしょうか。小学校外国語活動には予算もなく、方法論もないというある種の危機的な状況の中で、最も被害を受けてしまうのは他でもない子どもたちです。小学校の先生方におかれましては、ぜひ子どもたちのための外国語活動であるということを改めて考えていただき、その上で、例えば、外国語活動で英語の表現を教え込むのか、ことばの大切さに気づかせるのかなど、ご自分の方針を決めていただければと思います。私たちは、ことばの大切さに気づかせることこそが小学校外国語活動の重要な目的であり、それは結果としてこどもたちの将来の学びを支えていくと信じております。そして、今回の実践で明らかになったように、ことばの授業には、子どもたちも夢中になります。また、これらことばの授業には、しっかりとした学問的基盤もあります。あとはいかにこれをカリキュラムとして体系化し、そして教材を開発していくかということですが、これについてもすでに色々と準備は整ってきております。今後、カリキュラム・教材ということで、言語教育プロジェクトにおいて、現場にいらっしゃる先生方からのフィードバックがとても重要な役割を担ってきますが、私たちの考え方にご賛同いただけるのであれば(もちろん、ご賛同いただけなくても)、ぜひみなさんのお力をお貸しいただき、みなさんと一緒に子どもたちのための外国語活動、ひいては「子どもたちのための言語教育」を考えていきたいと思っております。みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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