最近、読んだ本の中から、とくに印象に残っている3冊をご紹介します。
錯聴は実際に聞いてみないと体験できません。これまで入門書などで、錯視のかげに隠れて、あまり目立たない存在だったのはこの理由によるところが大きかったと思います。しかし、ネット社会のいま、事情は変りました。『音のイリュージョン』はネット上に公開されている「イリュージョンフォーラム」と連動させて楽しむことができます。http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/
楽しみながら、錯聴の世界に招き入れられているうちに、著者の言う「イリュージョンは,知覚を生み出すための脳の巧妙な戦略の表れとでも言うべきものである」という主張へと次第次第に導かれていきます。
最近、言語関係研究者の興味の狭さがとても気になります。ことばと関連を持ついろいろな分野でじつにおもしろい研究がなされていることに気づかないまま、研究を進めている言語関係研究者が少なくありません。錯聴という興味深い分野の研究成果がこういう親しみやすい形で、しかも、信頼できる研究者の手によってまとめられた幸運に感謝したいと思います。
つぎにご紹介したいのはW. Tecumseh FitchのThe evolution of language (Cambridge University Press)です。こちらは622ページの大著です。Fitchは有名なHauser, Chomsky, and Fitch (2002)のFitchです。最近は言語の起源論ブームの感がありますが、この大著でFitchは言語の起源を論じる際に必要なさまざまな領域—言語理論や進化論だけでなく、きわめて多岐に亘る—の研究成果を見事に整理し、まとめあげています。最後の章でFitch自身が認めているように、この本には言語の起源について決定的なことは書かれていません。しかし、およそ言語の起源を考えるのであれば、知っていなくてはいけないことが巧みにまとめられています。
大著ではありますが、軽妙とも言える筆致で書かれていますので、さほど苦にはなりません。それでも、いきなりこの大著では敷居が高すぎるという向きには、まず池内正幸さんの編集による『言語と進化・変化(シリーズ朝倉〈言語の可能性〉第3巻)』(朝倉書店)という好著で準備を整えておくというのもよいと思います。
さて、最後は、Kristin Denham and Anne Lobeck (eds.) Linguistics at school: language awareness in primary and secondary education (Cambridge University Press)です。アメリカやヨーロッパでの実践が主になっていますが、どれも興味深い論考ばかりです。言語学を小中学校へ導入すると言っても、その仕方については「温度差」があります。導入によって科学の方法を教えようという試みもあれば、母語の効果的な運用につなげようという試みもあります。ただ、いずれの論考も、言語学が学校教育とあまりにも無縁であることをなげき、その状況が変ることを念じて書かれており、迫力があります。
目を日本に転じると、この種の動きはまったく未成熟です。わたくしを含め、一部の言語研究者が教育関係者とともにこうした可能性を探っていますが、まだまだ大きなうねりにはなっていません。海を隔てたところでも、同じ思いの人たちがたくさんいることを心強く感じさせてくれる優れた本です。
実践報告というよりも理念に重きが置かれていますが、いずれ実践編がまとめられることと期待しています。
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