既報のとおり、先週、能代へ行った折、のしろ日本語学習会主催で「言語学習者のために何ができるか—現場から見えてくること」と題された、講演会+座談会に出席しました。公民館の一室に集まったのはおよそ30人ほどの方々で、学習会関係者や一般の方々に交じって英語の先生がたも参加しておられました。
講演会の部では、まず、佐賀大学の横溝紳一郎さんが田尻悟郎さんの教育実践について語りました。横溝さんは『生徒の心に火をつける』(教育出版)の生みの親の一人です。この本は田尻さんが東出雲中学校在任中に、広島大学の柳瀬陽介さんを研究代表者とする科研費プロジェクトで、田尻さんを訪ね、聞き取りをしたところをもとにまとめ上げたライフヒストリー+実践記録です。わたくしもそのプロジェクトの一員として参加しました。
横溝さんの話はその時以来、横溝さん自身が田尻実践について考え、学んだところの一端を、学習者(=生徒)の視点から語りました。
それを受けて、わたくしはノーム・チョムスキーの教育論から話を始めました。そのとき引用したのが以下のパラグラフです。
マナグアでの講義のあと、聴衆から教育について尋ねられたチョムスキーが答えた一節です。《教育において大切なのは学習者をその気にさせることで、どう教えるかということは些細な問題です。学ぶということは学習者の内側から起こることで、学習者自身が学びたいと思うことが肝心です。学習者がその気になったら、教え方がどんなにまずくても、学びはなされるものです》というのがわたくしの超訳です。
わたくしはこのチョムスキーの教育観、学習観に強く惹かれます。ここから出発して、わたくしは教師ができることの中で、
生徒に関心を持たせる 学びたいなあと思わせる その心を持続させる
ことが重要であるが、赤字の使役の部分を達成させるためにも、じつは学習者自身の気持ちがなにより大切で、教師ができることは、
そういう心の状態になるよう支援する
ことに過ぎないと論じました。誤解があるといけないので付け加えると、そう考えるからと言って、教師の役割を軽んじているわけではありません。横溝さんが「生徒の心に火をつける」とまとめた田尻実践の精神はまさに教育・学習における教師の役割を見事に表現したものであると思います。
ほかにも、座談会も含め、いくつかの論点に触れましたが、それらについてはまた改めて書きたいと思います。
【後記】まことに残念なことですが、来年3月に京都で開催されるEVOLANG(言語の起源と進化に関する国際会議)に来日予定だったノーム・チョムスキー氏は来日をとりやめました。
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