読売新聞熊本版の記事

最終更新: 3月20日


先週は東京新聞と読売新聞熊本支局から取材を受けました。

読売のほうはきょうのネット版に載っています。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kumamoto/news/20130622-OYT8T01300.htm

文部科学省の特例校指定を受け、1年生から英語を学んでいる産山村立産山小学校の授業の様子が紹介されています。

 最初に、6年生の「英語科」の授業を見せてもらった。

 「How are you?」(ごきげんいかが)「I’m sleepy and thirsty and so-so」(良くも悪くもないけど、眠くて、のどが渇いてます)

 アメリカ人の外国語指導助手(ALT)アンドリュー・クルックスさん(31)の問いかけに男の子が冗談ぽく答えると、教室に笑いが起きた。

 短いやりとりだが、英語の会話で、子供たちが笑う姿が新鮮だった。ふだんから英語に慣れ親しんでいるためか、気後れするところが全くない。


小学校英語に関する記事やニュース画像でおなじみの様子です。ただ、問題は「I’m sleepy and thirsty and so-so」段階から英語が使える段階への移行です。わたくしは「「I’m sleepy and thirsty and so-so」段階の価値はほとんどないと思います。「ふだんから英語に慣れ親しんでいるためか、気後れするところが全くない」ということが売りなのだと思いますが、その子どもたちが中学校へ入って、英語が使えるようになるための学習段階に入ると、英語嫌いが急増します。いつも紹介しているベネッセの調査は数値でそれを裏づけていますし、もっと重要なことは中学校の先生の多くがそれを肌で感じているという点です。(ついでながら、so-soは和製英語ではありませんが、日本人の英語会話にはかなり頻繁に飛び出る、和的英語だと思います。)


余談ですが、「データ」とか、「証拠」とかが話題になることが多い昨今です(わたくしはこれを「遠山の金さんのお白洲状態」と呼んでいます。「証拠はあるのか!」「そうだ、そうだ、証拠を出せ!」)が、数値だけが「データ」「証拠」ではないという点と数値についてはその数値の意味するところをしっかりと示すことが必要だという点は押さえておきましょう。


熊本版の記事で、取材者である大田裕一郎さんが引用してくれた、わたくしのコメントはつぎのとおりです。

一方、小学校の英語教育には懸念の声もある。明海大の大津由紀雄教授(認知科学)によると、外国語を初めて学ぶ人たちへの教育には、高い技術や知識が必要。そうした人材をすべての小学校に配置するのは難しく、「先生の力量次第という賭けのようなことをやっていいのか」と指摘している。


これは小学校英語に関する現実的な問題点です。事実、同じ記事はこうも伝えています。


 担任とALTに産山中の英語教諭が加わり、3人で授業していたのにも驚いた。中学の先生は、入学した生徒がどこまで英語を学んでいるか把握できる効果もある。

 文科省などによると、県内379の小学校・分校のうち、30校が文科省の指定を受けて英語教育に取り組む。他の学校も、独自教材を手作りするなど、それぞれ工夫を凝らしているが、5、6年生が年間35回受ける授業のうち、ALTが教えるのは3、4回に1回程度の学校もあるという。

 県教委は、中学か高校の英語免許を持つ人を対象に特別枠を設け、小学校教諭の採用を進めているが、過去6年間の採用は計54人にとどまる。産山村と同様の指導体制を整えるのは難しい状況だ。


ただ、小学校英語の問題はこうした現実的な問題点だけではありません。原理的な問題点(「小学校英語は必要でなく、益するところもなく、害ばかりある」。この点は以前からまったく変わりがありません)と教育政策的な問題点(英語活動という方針を出し、学級担任をその気にさせておきながら、その総括もせず、今度は教科化に踏み切るという問題)があります。


近刊『英語教育、迫り来る破綻』(ひつじ書房)の「補論」ではこの点を論じています。また、7月14日の講演会でもこの点を取り上げる予定です。




#小学校英語 #英語教育

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