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6月17日 慶應言語学コロキアム 所感   

更新日:2020年3月21日


院生の永井です。

今月17日(水) に、 慶應義塾大学三田キャンパスにて16時30分から19時30分まで、慶応言語学コロキアムが開催されました。講師として、傍士 元(ほうじ はじめ)先生(University of Southern California)をお招きし、”Generative Grammar as an Empirical Science:its goal and how it can be pursued – with some historical reflections”という演題のもと、熱弁をふるっていただきました。傍士先生は、難解な術語は一切用いず、参加者の当該分野への背景知識を問わない、非常に分かりやすい講義をしてくださいました。

講義の中で、まず最初に印象的であったのは、ご自身を「言語学者」ではなく「言語能力学者」と明確に述べられたことです。ささいな点のように思われるかもしれませんが、このように「X学者」という場合、研究対象としての「X」を明確にする、または意識することは大切なことだと思います。というのもXが何であるのかがはっきりしないのであれば、自分の行っている研究が最終的に何を目指していて、そしてそのために今自分が何を行っているのかが見えてこないからです。現代の学問においても、往々にして研究目的を見失った「学問のための学問」がしばしば見受けられますが、これは上の議論と無関係とは言えないでしょう。「言語能力学者」と名乗るべきだとは申しませんが、少なくとも一般に「生成文法」と呼ばれる分野で研究をされる方々は、絶えずその目的を意識しておくことは大切なことだと思います。

傍士先生はまた、「生成文法とは何か」という問いへの一般的な答えとして、「言語機能を科学的に研究すること」のように答えても答えにはなっていないとおっしゃいました。というのも、この答えを理解するためには少なくとも「言語機能とはどのような機能か」ということと「科学的に研究するとはどのように研究することか」がその前提として理解されていなければならないからです。もちろん前者の問いに答えることが生成文法の研究目的であれば、それがどのようなものか分かっているなどということはありえませんが、後者については説明することが可能でしょう。そして傍士先生はLakatosとFeynmanに言及しながら、「科学的な研究」について、ご自身のお考えを述べられました。先生はLakatosのhard coreとauxiliary hypothesesという用語を援用し、実験が予想に反してもhard coreの部分は変えず、auxiliary hypothesesを変えるという手法について、その例として、ニュートン力学をhard coreとしている中での海王星の発見を挙げておられました。そしてこのような考えに基づき、言語機能に関する仮説の中でhard coreに当たるものを述べておられました。そしてより具体的な研究手法として、Feynmanに言及されながら、Guess―Computing Consequence―Compare, Experimenという研究手法モデルをご説明してくださいました。LakatosやFeynmanに関しては、どちらもwebで参照が可能なようです。

以上の議論を踏まえ、傍士先生は、少なくとも現在の日本語生成文法は、それを科学に近づけるために必要な経験的基盤の整備に十分に配慮をしているとは思えないと結論付けておられます。そして日本語生成文法を経験科学として成立させるための方策として、先生はその重要なキーワードとしてまずRepeatable phenomenaを挙げられ、そしてそれを構成するScheme-based predictionという用語を導入されました。こちらの詳細についてはHoji (2009) ”A Foundation of Generative Grammar as an Empirical Science”.(ご近刊予定)を、そして傍士先生の最近のご動向をお知りになりたい方は先生はホームページをお持ちですので、http://www.gges.org/hoji/index.shtmlをご参照ください。

今回の講演をまとめますと、傍士先生がある種の科学哲学の視点から生成文法の現状を真摯に見つめ、その問題点を見極めた上で、改善のための具体的な提案をするというものでした。実際の議論の中では、講演という時間の制約もあり、日本語生成文法研究の何がどのように問題なのか、その具体的な例を示されなかったこともあったので、聴き手としては傍士先生のご主張を批判的に受け止めていく必要があるのですが、それを差し引いても、思わずうならされるような鋭いご指摘が多々ありました。ですが、今回の講演を通じて私たち聴講者に求められることは、個々の傍士先生のご主張の真偽を主体的に吟味することで終わるだけでなく、生成文法研究の第一線でご活躍してこられた傍士先生が、今なぜこのような主張をされるのか、という一歩下がった視点から講演全体を捉えなおすことでしょう。傍士先生を駆り立てたその背景、つまり日本語生成文法研究の現状について、今一度、私たちは自身の頭で再考する必要があるのではないでしょうか。

傍士先生、このたびは大変貴重なお話をお聞かせいただきどうもありがとうございました。

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