

院生の永井です。
2009年8月12日に久保野りえ先生(筑波大学付属付属中学校教諭)を講師としてお招きし、英語教育講演会が行われました。
お盆という時期、そして講演会の告知期間が1か月という短い期間でしたが、最終的に43名と、多くの方にご参加いただきました。
久保野先生もこれほど長丁場の講演会は初めてとのことでしたが、噂に違わずのパフォーマンスで、時間が経つにつれて、会場全体が久保野先生の創り出す世界、まさに久保野ワールドに引き込まれていきました。
今回残念ながらご都合により、ご参加できなかった方々もおられると思いますので、以下講演会の内容について、第一部(久保野先生の授業を支える理論について)、第二部(久保野先生の授業分析)、第三部(参加者によるマイクロティーチング)に分けてご紹介したいと思います。しかしながら、久保野りえ先生の授業はまさに筆舌に尽くしがたく、ここでそのすべてを紹介するなどはとても出来ませんので、ぜひ一度ご自身の目でご覧になっていただいた方がよろしいかと思います。
◆ 第一部 久保野先生の指導を支える理論
まず第一部では久保野先生の授業の基盤となっているOral Methodを提唱したHarold E. Palmerの理論を解説していただきました。
Palmerの考え方の大きな特徴の一つは「音声優先」であり、話す・聞く・書く・読むのいずれの技能においても音声を重視しています。
(※Palmerの解説書等でSpeech Primacyという用語をよく見かけますが、Palmerの言うSpeechは、「言語体系(Code)」に対しての「言語運用(Speech)」を意図したものであり、そこには「読み書き」も含まれます。)
話す・聞くは分かるとしても、なぜ書く・読むに音声が関わるのかという疑問が生じますが、Palmerは母語においての話す・聞く・書く・読むという過程を以下のように考えています。(※各用語の日本語訳は永井による。)
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①【話す】 Concept 概念 → Acoustic Image 音声イメージ → Phonation 発声行為 → ②へ
②【聞く】 Audition 聴き取り行為 → Acoustic Image 音声イメージ → Concept 概念
③【書く】 Concept 概念 → Acoustic Image 音声イメージ → Motor Graphic Image 文字イメージ → Graphation 筆記行為 → ④へ
④【読む】 → Graphic Vidation 読み取り行為 → Graphic Visual Image 文字イメージ → Acoustic Image 音声イメージ → Concept 概念
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そしてPalmerはこの過程において①・②を合わせてThe Primary Speech Circuitと、 ③・④を合わせてThe Secondary Speech Circuitと呼んでいます。
つまり、話す・聞くことが言語に関する主要技能であり、書く、読むという技能は副次的技能であるということ、そしてそのどちらの過程にも音声が深く関わっているということです。
この考えを理解し、そして人間の言語の習得過程が聞くことから始まるということを考慮すれば、英語授業の指導法として、まずは生徒に英語を耳で聞かせることから入っていく指導方法、いわゆるOral Introductionが自然と導き出せます。この場合、文字自体の提示は後になります。
久保野先生は、生徒にとって大切なことは「英語から日本語へ翻訳できること」ではなく「英語を直読直解できること」であるとおっしゃいました。これはまさに、上のPalmerの考え方を反映させたもので、直解とは生徒が英語(音声)を聞いて、その英語を日本語を介在させないで、Conceptへ直接結びつけるようにするということです。
そのためには、新出事項の導入にあたって教師の文脈設定がとても重要になります。なぜなら、概念に直接に結び付けるならば、生徒が日本語をなるべく介在させなくても英語を理解できるような状況を作り出す必要があるからです。文脈設定の方法としては、教師によるジェスチャー、ピクチャーカードなど視覚教材の利用、口頭での文脈設定などが考えられます。
しばしばOral Methodは一切日本語を使わないので教室での授業において非効率的だと批判されますが、それは実際にはミスリーディングと言わざるを得ません。Palmerの著作やOral Methodの解説本を「きちんと」読み解けば、彼がいかに合理的学習順序を求める人であったかが分かります。そしてPalmer自身もThe Principles of Language – Studyの中で、自分の教授法を”Multiple Line of Approach” という用語を使って、折衷的方法(Eclectic Method)を強調しています。つまり必要に応じて、日本語を使用しても良いとしてるわけです。久保野先生もそのことを強調されておられました。
また、久保野先生は第一部の終盤に、Oral Methodに関して英語教師に覚えていてほしいものとして、Perception, Recognition, Imitation, Reproductionの4つの段階を挙げられました。ここでは詳細に解説をすることはできませんが、これらは上のPalmerの理論から導かれるものであり、そして久保野先生の実際の指導手順の基盤になっているようです。 (具体的内容についてはEnglish Through Actions をご覧ください。久保野先生によると現在最も簡単に入手できるPalmerの著作であるとのことです。開拓社から新装版として出版されています。)
◆ 第二部 久保野先生の授業分析
第二部では、久保野りえ先生の実際の授業ビデオを見せていただきましたが、それをなんと、久保野りえ先生のご主人である久保野雅史先生(神奈川大学)が解説してくださいました。実は講演会の告知においてスペシャルゲストとしていたのは久保野雅史先生に他なりません。このことを踏まえてあえて表題を「久保野先生の授業分析」(二通りに解釈できます。)としています。
久保野雅史先生の的確なご説明で、いかに久保野りえ先生の授業が綿密に組織化されているか(久保野雅史先生は「構造化」という言葉を使っておられました。)が分かりました。
組織化されているということですが、この言葉が意味するところは、対象が事前に綿密に計画され、各事項が有機的に関連付けられ、そして段階的に組み込まれているということです。
まず今回の授業ビデオでは、新出の文法項目はthere構文(中学校英語教師にとって最も導入が難しいとされるものの一つ)でしたが、久保野りえ先生はまずそれを英語だけのOral Introduction でいとも簡単に導入されました。私たち聴衆も生徒の気持ちになって聴いていましたが、説明には実際に英語しか使われていないのにも関わらず、何と分かりやすい説明なのかと思わずうなってしまいました。何といっても文脈設定が素晴らしかったと思います。久保野りえ先生ご自身が引っ越されたことを題材にし、there構文を用いて、今住んでいる場所と昔住んでいる場所がどう違うかを、時折ユーモアを混ぜながら、非常に分かりやすく説明されました。
そして、段階的であることが最も顕著だったのは、Oral Introductionが終わってからでした。生徒にthere構文を用いて質問をふり、yesが出たところでthere構文の肯定文(単数)のモデルを教師が示し、それを全体→個人の順番で再生させます。次にnoが出たところで、there構文の否定文(単数)のモデルを教師が示し、全体→個人と再生させます。以下同様の手順で、there構文の肯定文(複数)→there構文の答え方(肯定)→there構文の答え方(否定)→there構文の疑問文へと移っていきます。この流れを見れば、久保野りえ先生の授業がいかに細かなスモールステップを踏んでいるかが分かります。(there構文の否定(複数)が無いのは意図的でしょう。)
このように、久保野りえ先生の授業はきっちりと組織化されています。自然な文脈の設定から、口頭練習まで、事前の綿密な計画無くしてこのような授業を行うことは不可能でしょう。
また、これも久保野雅史先生のご指摘ですが、久保野りえ先生の授業では、生徒による英語の再生は すべて「ことば」として行われています。つまり、実際に使う生きた表現として再生されているということです。例えば、一人の生徒に質問をして、生徒がThere are three convenience stores near my house.という肯定文を言ったとしましょう。それが、久保野りえ先生のクラスでは、全体で再生をする際に、自然とThere are three convenience stores near [Mr./Ms. ~’s] house.となって再生されているのです。もちろんその全体での再生の際にその当人にあたる~君/さんは困るでしょうが、それを差し引いても他の大多数の生徒にとっては、There are three convenience stores near [my] houseと自分の事実とは異なることを言う場合(家の近くにはコンビニが一つしか無かったり、または全く無いという場合)よりもはるかにコミュニカティブでしょう。
このような再生の際の原則が久保野りえ先生の教室では当たり前のように守られています。ちょっとしたことのように見えますが、このような再生を通じて生徒は各表現をあくまでも「自分」の言葉として語ることになります。このような練習が日頃から行われているかいないかで、いざ生徒が英語をコミュニケーションの道具として、そして「自分」の言葉として使用する際に、大きな差を生み出すのではないでしょうか。
◆ 第三部 参加者によるマイクロティーチング
第三部では、参加者が実際にOral Method を用いてマイクロティーチングを行いました。
手順としては中学三年生用の教材(主な文法項目としてはhow to~)を与えられ、個人でしばらく考えたあと、グループで意見を交換し、そして代表者が発表という形です。
私もhow to~のOral Intorductionを発表させていただきましたが、その難しさをただ痛感するばかりでした。難しさの要因としては、まず、中学生でも分かるように英語の語彙レベルを調節しなければならないこと、話す速度を速くしすぎたり、逆に遅くしすぎたりしてはならないこと、メモを見るのではなく生徒を見て、きちんとコミュニケーションの言葉として語ること、場面が分かるように少し大袈裟にジェスチャーを用いることなどがあります。
他の方も発表をされましたが、まさに十人十色で、さまざまな工夫が見られ非常に楽しく拝見させていただきました。しかしながら、やはりところどころで「流れを忘れた」という言葉が散見されたり、中学生には難しいと思われる高レベルの語彙を無意識のうちに使っていたりと、みなさんもかなり苦労されておられるようでした。
各参加者の実演に対しては、久保野りえ先生から丁寧に、そして的確なアドバイスをいただきました。その様子は、さながら教育実習において、実習生を指導教官の先生が指導しているかのようでした。私は昨年、教育実習に行ったのですが、まさにその情景が沸々と思い出され、懐かしさがこみあげてきました。久保野りえ先生のもとで、教育実習を経験できる学生がとてもうらやましいです。
最後に、久保野りえ先生が実際にパフォーマンスを披露してくださいましたが、まさに一点の無駄もなく、見事としか言いようのない本当に素晴らしいOral Introductionでした。Oral Methodを文字通り体現され、その様子はさながら、ある種の芸術 ― 能や狂言など― に近い印象を受けました。まさにI was too moved to express my feelings.!でした。(参加者の方ならお分かりですね(^^))
私の中高で教えていただいた英語の先生には申し訳ないのですが、こんな先生から英語を教えてもらっていたら、私の英語力ももっと上達しただろうな、と率直に思ってしまいました。
近年、英語教育というと最もホットな話題の一つですが、その議論に熱中しているばかりに、時にこのような素晴らしい先生方の実践の存在を忘れがちです。ですが教育を語る際に実践という視点を欠いていては、いくら議論をしたところで、それは空虚なものでしかありません。また、同時に危険なものでもあります。間違っても、机上の空論によって導かれた政策によって、日々の教育実践が壊されるような事態があってはいけません。
今回の講演会は、ともすると、なぜ大津研究室が英語授業ワークショップみたいなものを開いているのか、と不思議に思われた方もおられるかもしれません。しかし、それは上述したように、今の英語教育論議においては実践のアクチュアルな視点が欠けており、実践に目を配ることが必要だからです。実際には、大津先生は純粋に久保野りえ先生のファンだからと企画したんだとおっしゃっておられましたが(笑)、それが本当だとしても、結果として英語授業実践の最先端を実際に私たちが目の前で見ることが出来たというのは、英語教育政策論議と英語教育実践が結びつく一つのきっかけとして、非常に有意義であったといえるでしょう。今回の講演会を一つの契機として、今後英語教育論議の最先端におられる方々も積極的にこうした機会を設けることにつながれば、私たちとしても嬉しい限りです。
今回の講演会を行うにあたっては多くの方にご協力をいただきました。以下に簡単にご紹介し、報告を終えさせていただきたいと思います。
まず何といっても講師を務めてくださった久保野りえ先生。その卓越した指導技術がちりばめられた英語授業を見て、英語教師になりたいと思わせられなかった学生はいないでしょう。また、現職教員の方は改めて英語教師という職業の奥深さを学んだことでしょうし、そして英語教育に関心があって参加された方はプロとしての英語教師を目の当たりにし、そこから職業人として何かしらの技術を学びとったことでしょう。このように久保野先生は、講演会に参加したすべての人に有意義な時間、来て良かったと思える時間を提供してくださいました。久保野りえ先生、素晴らしい講演を本当にありがとうございました。
次に、自称アシスタント?として、久保野りえ先生の授業解説をしてくださった久保野雅史先生。時折繰り出されるユーモアに加え、その鋭い洞察力による授業分析・解説によって、私たちオーディエンスは高度な授業分析の視点を与えられ、久保野りえ先生の実践について120%理解することが出来たのではないでしょうか。機会がありましたら、ぜひ久保野雅史先生にもご講演いただきたいと思います。久保野雅史先生、どうもありがとうございました。
そして、今回の講演会のきっかけをつくってくださった大津由紀雄先生。大津先生の英語教育に対する深い関心と理解がなければ、今回の講演会は実現し得なかったと思います。そして、理論だけでなく、現場にも目を配っておられるその姿勢から、教育学を専攻している一大学院生として学ぶことは本当に多いです。大津由紀雄先生、どうもありがとうございました。
また、大津研究室のゼミ生、大学院生、そして卒業生の方々には会場設営や準備等で色々と手伝って頂きました。みなさん、どうもありがとうございました。
最後に、講演会にご参加されましたみなさま。お盆という時期にも関わらず、各地から参加していただきました。最終的に、当初予想していた人数をはるかに上回る参加人数になり、みなさまの英語教育への意識の高さには脱帽いたしまいた。今回の講演会が、みなさまにとって有意義なものであり、ただの研修会とは一味も二味も異なるものであると少しでも感じていただければ、開催側としてはこれ以上の喜びはありません。みなさま、本当にありがとうございました。
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