「(学習者に優しい)ウソ」のこと

最終更新: 3月21日

さきほどご紹介した亘理陽一ブログ http://watariyoichi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html で、9.10学習英文法シンポジウムでのわたくしの話に対する直接の言及があります。重要な指摘ですので、急ぎ、以下の文章を認めることにしました。

亘理さんはこう言います。

— 大津先生の「深追い」に対する戒めは、レベル3からレベル5へ至る「変換」の議論として首肯できるものであるが、特に今回のシンポジウムはそこが核心だと考えていたので、Swan (1994)の基準のような形で精緻に論じて欲しかったところである。それだけに「やさしいウソ」というのは――ネタも含めて、参加者の実感としては腑に落ちるところが多かったのかもしれないが――「子ども騙し」という解釈を許容するおそれがあり、承服しかねる表現であった(Leech (1994)も”Processes of simplification”といった言い方で同種の議論をしてはいるのだが、例を見る限り、Swan (1994)の掲げた(a)-(c)に抵触するという意味で、私はLeech (1994)のこの部分の主張も承服しかねる)。 —

会場においでにならなかったかたのために補足しましょう。わたくしはこう言いました。学習英文法は英語学習の効率を上げ、その効果を高めることを第一義とするものであり、その記述は英語全体から見たときには必ずしも正確である必要はない。その意味でウソであってもかまない。ただ、同じウソでも、あとで学習者を泣かせるような哀しいウソであってはいけない、と。

結論から言いましょう。わたくしはその主張そのものを変える必要はないと今でも思っていますが、少なくとも教育という文脈で「ウソ」ということばを不用意に使うのは、亘理さんが危惧するように、それが「子ども騙し」、あるいは、もっと深刻に「口から出まかせ」と受け止められる可能性があります。よって、今後は教育がらみでの議論で、この意味での「ウソ」ということばは使わないことにします。

亘理さんが注釈として「ネタも含めて、参加者の実感としては腑に落ちるところが多かったのかもしれないが」と加えてくれているように、「ウソ」のたとえはわかってくれる人には効果的であると思っているのですが、「ウソ」ということばが独り歩きしてしまうことを考えると慎重にすべきでした。

なお、上記の意味での「ウソ」の使い方は、もととも竹内久美子さんが生物学者の日高敏隆さんとの対談の中で、科学について語っている部分(『もっとウソを—男と女と科学の悦楽』(文春文庫))から借用し、認知科学の講義や講演で使わせてもらっています。しかし、教育の文脈では誤解の恐れが高いので、別問題として考える必要があることがわかりました。

亘理さんの友情に感謝します。

なお、「Swan (1994)の基準のような形で精緻に論じて欲しかった」という部分、ごもっともですが、20分という制約と(専門家対象のものではなく)一般公開のシンポジウムという制約からあのような形を選択しました。ご期待はありがたくいただき、いずれ出版される予定の本(このシンポジウムをもとに研究社から来年出版予定)に収められる論考に反映させたいと考えています。

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