『週刊朝日』 3月7日号に(ちょっと控えめに)「激変する大学の英語教育」という記事が載っています。その一部がネット上に公開されています。 http://dot.asahi.com/news/domestic/2014022600031.html
そこには、わたくしの意見として、「能力テストの点数だけがいい『ハリボテ英語力』しか持たない学生が増えているのです。皮肉なことに、企業が求めているレベルと大学教育のレベルには大きなギャップがある。一流企業は、こうした点に気が付きだしています」ということが紹介されています。 この記事は、金子哲士さんというかたが取材、執筆した署名記事です。記事全体も大学英語の現状とその問題点が(限られた紙幅ではありますが)かなりきちんと整理されています。ちなみに、「ハリボテ英語力」というのは言いえて妙と思います。じつは、このことば、わたくしが使ったものではなく、わたくしの話を聴いていた金子さんが《英語力があるように見えて、じつは英語が使えない、「ハリボテ」みたいなものですね》と言ったとこと端を発します。つまり、「ハリボテ英語力」(©金子哲士、2014)ということです。 わたくしの発言に関連して、誤解を招かないよう注釈を加えておく必要があるかと思います。 1 上の引用での「能力テスト」とはTOEICやTOEFLなどのテストを念頭に置いたものです。これらのテストは言うまでもなく、ある特定の目的のために開発されたもので、その文脈の中で考えれば、それなりにきちんとしたものと言えます。つまり、わたくしはTOEICやTOEFLが一定の目的のために開発された「能力テスト」として重大な問題があると言っているのではありません。(これも一応、念のために付け加えておけば、だからと言って、TOEICやTOEFLがその開発目的に照らしてまったく問題がないかと言えば、そんなことはありません。完璧な能力テストは永遠の課題です。) 2 大学の英語教育の中でTOEICやTOEFLを活用すること自体が問題であると言っているのではありません。実際、わたくしも本務校での来年度の「英語学特講」という講義は学生たちの関心が高いTOEICを多分に意識した形で進めようと考えています。上手に使えば、英語の性質を理解する(それが英語学です)のに役に立ちます。そして、おそらく学生たちにとっての最大のご利益は結果としてTOEICのスコアが上がるという点でしょう。 今年度、大学英語教育に関連して一番驚かされたのはTOEICスコアの向上だけを使命とするプロ集団のようなものが存在するということを知った時です。「この授業はきみたちの英語力を増進するためのものではなく、TOEICのスコアを上げるためのものである」と明確に宣言して授業を始める、その道のプロがいるそうです。たしかに、参考書の中にも、そういった趣旨の本がありますから、そんなプロがいても不思議ではないのですが、それが大学英語教育の中に組み込まれてくるということになると大きな問題です。「ハリボテ英語力」の由来です。 【付記】 『週刊朝日』の記事には江利川春雄さんも登場します。
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