日本教育心理学会シンポジウム「小学校での英語学習はどのようにあるべきか」

更新日:9月1日

 2021年8月21日から8月30日までの間、日本教育心理学会第63回総会がオンラインで開催されています。

 わたくしはこの学会の会員ではありませんが、「小学校での英語学習はどのようにあるべきか」という学会企画シンポジウムの指定討論者としてお招きを受けました。企画者、話題提供者はつぎのとおりです。


企画・司会:湯澤正通(広島大学)

企画:工藤与志文(東北大学)

話題提供:池田 周(愛知県立大学)

話題提供:針生悦子(東京大学)

話題提供:湯澤美紀(ノートルダム清心女子大学)

話題提供:吉田達弘(兵庫教育大学)

指定討論:大津由紀雄(関西大学)

 以下は、その指定討論のために用意した原稿です。これだけを読んでいただいても、小学校英語の現状とその問題点について理解を深めることができると思います。


日本教育心理学会シンポジウム

「小学校での英語教育はどのようにあるべきか」

大津由紀雄

2021年7月10日


0 はじめに

みなさん、こんにちは。指定討論者の大津由紀雄です。本日は与えられた時間がきわめて限られていますので、話題提供者の発表要旨と発表用スライドをもとにあらかじめ原稿を用意いたしましたので、それを読み上げる形で務めを果たしたいと思います。

 最初に、わたくし自身がどのような人物であるのか、本日のテーマと関連する範囲で、ごく簡単に自己紹介させていただきます。わたくしの研究の理論的基盤は生成文法と呼ばれる言語理論で、その枠組みの中で、とくに、母語の獲得と統語解析について力を入れて研究してきました。一言で言えば、ことばについての認知科学ということになります。小学校英語については一貫して反対の立場を採ってきました。とは言うものの、活動型だけでなく、教科型も導入されてしまった現在は「災い転じて福となす」を目指し、小学校英語の対象を英語から「ことば」に転換すべく、研究と社会活動の両方を行っています。

 わたくしの指定討論では、本日、取り上げられた論点を整理し、少しでも、先生がたや子どもたちのお役に立つように念じながら、その在るべき姿を探っていきたいと思います。そこで、つぎの3つの話題に沿って考えることにします。


1 小学校英語の目的・目標はなにか

2 小学校英語の現状はどうなっているのか

3 小学校英語を意義あるものにするためにいま何が必要であるのか


1 小学校英語の目的・目標はなにか

 言うまでもなく、本日のテーマにとって、この点がもっとも重要です。目的・目標(両方を併せて「理念」と呼ぶことにします)を明確にしないで、現状の評価を行ったり、今後の課題を考えたりすることはできません。しかし、池田さんのお話からも十分推測できるように、その肝心な、理念が明確化されているとは到底言い難いというのが現状です。学習指導要領にある、小学校では、中・高等学校「外国語」で育成する「コミュニケーションを図る資質・能力」に向け、中学年ではその「素地」、高学年では「基礎」を構築するという考えがあまりにも漠然としたものであることが問題の根源にあります。と言っても、「素地」と「基礎」の違いはなにかというのはごく派生的な問題で、重要なのは「コミュニケーション」とはなにかということが十分に検討されていないという点です。

 小学校英語に限らず、英語教育に関する議論の中で出てくる「コミュニケーション」は口頭による情報交換だけを想定していると感じることが多々あります。これだけでも問題ですが、もっと深刻なのは「ことばのキャッチボール」という表面的な側面に焦点を当てすぎているという点です。コミュニケーションが単なる「ことばのキャッチボール」ではないことはつぎのごく簡単なやりとりを考えるだけで十分です。


[高校生の男女の会話]

優 :ねぇ、亜矢、今度の日曜日、映画見に行かない。

亜矢:月曜日、数学の試験なんだ。

優 :そうかぁ。じゃあ、またにしよう。


 優の映画への誘いに対して亜矢は映画のことにはまったく触れず、月曜日の数学の試験の話題を持ち出しています。字面だけを見ている限り、この応答は不適格です。「ことばのキャッチボール」という視点からすれば大暴投です。しかし、それに対して優は怒ることもなく、「そうかぁ」と応じています。「じゃあ、またにしよう」と付け加えていますから、優は亜矢が誘いを断ったと理解してことがわかります。

 どうしてこんなことが起きるのでしょうか。亜矢を今度の日曜日に映画に誘った優は亜矢の発言でその翌日の月曜日に数学の試験があることを知ります。そこで優は思いを巡らせます。《ということは、試験の前日である日曜日にはその準備をしなくてはならない。ということは、映画に行く余裕はないはずだ》。つまり、優は亜矢の発言をもとに推論を働かせているのです。そして、優がその推論を働かせようとしたきっかけは《亜矢が自分の誘いと無関係なことを言うはずはない》という思いです。こうした思いや推論は言うまでもなく表面に現れることはなく、あくまで内的な、こころの働きです。

 「コミュニケーションを図る資質・能力」を育成することを目指すのであれば、まずは、「ことばのキャッチボール」という表面的なコミュニケーション観からの脱却を図る必要があります。そして、同時に、コミュニケーションにおける心の働きについて理解を深めるきっかけ作りは直感が利く母語をとおして行うのが望ましいということも明確に認識しておかなくてはなりません。

 理念に関連して認識すべき重要な点がもう一つあります。針生さんが紹介してくれた子どもたちの例は母語以外の言語を生活言語として身につける、つまり、第二言語獲得に関する研究です。たとえば、日本語を母語とする子どもが英語圏へ移住し、そこで英語を獲得する場合や、非日本語話者が日本に移住し、日本で日本語を獲得する場合の話です。イマージョン教育もそれに準じたものと考えてよいでしょう。それに対して、日本での英語学習はあくまで外国語学習です。第二言語獲得研究では第二言語獲得と外国語学習を区別しないことも少なくありませんが、第二言語獲得と外国語学習では、①対象言語との触れ合いの時間、② 対象言語との触れ合いの場面の多様性、③対象言語を身につけることのひっ迫度、④ 内的動機づけなどの点で大きな違いがあります。やはり、両者はきちんと区別して考える必要があるということなのです。「母語を獲得するように」外国語を学習すると考えるのは無謀です。針生さんもおっしゃるとおり、発音、単語、文法のどれをとっても明示的に教える必要があります。そして、その「説明」に用いられる言語、つまり、メタ言語が必要であり、また、そのメタ言語を使っての説明を理解する力が学習者に求められることになります。メタ言語に関連する力を育成するのは直感が利く母語できっかけ作りしなくてはならないというわたくしの年来の主張につながってきます。


2 小学校英語の現状はどうなっているのか

 吉田さんの報告にあるように小学校英語の実施にあたっては「各自治体や学校で研修が活発に行われ」たことも事実ですが、先生がたの自主的な研修もきわめて盛んに行われてきました。そうした研修に何度も参加させてもらいましたが、どの研修でも先生がたはきわめて真剣に取り組んでおられました。ことに、2008(平成20)年3月に公にされた学習指導要領によって高学年での外国語活動(現実的には「英語活動」)が必修化されてから、多くの先生がたはほとんど整備されていない環境の中で、たくさんの独創的な授業実践を積み重ね、いわば「英語活動文化」と呼んでもよい、独自の授業形態を作り上げるよう必死に努力してきました。そのとき、先生がたの心を支えたのは「英語活動では先生は児童に英語を教える存在である必要はない。児童とともに英語を学び、学習者のモデルとなるべきなのだ」という魔法の呪文でした。しかし、教室に、モデルも含め学習者だけがいるだけというのでは困ります。適切なフィードバックを与えてくれる存在がどうしても必要だからです。そんな無理難題を与えられても、なんとか工夫を凝らして英語活動を充実させようと先生がたはご苦労を重ね、さきほど申し上げた英語活動文化を築こうとしたのです。

 ところが、せっかく、そうやって築いてきた英語活動文化も、教科化という、新たな方針によって崩壊寸前の状況です。《英語活動文化は中学年で活用できる》というのが虎の門周辺の弁明のようですが、一度でも小学生に接したことのあるかたなら、3・4年生と5・6年生はまったく別の認知主体であるということはすぐに理解できるはずです。

 じつは、公立学校での小学校英語の試みは今回が初めてのことではありません。江利川春雄. 2008. 『日本人は英語をどう学んできたか---英語教育の社会文化史』研究社によると、明治時代にも高等小学校で英語が教えられていたことがあります。江利川さんが編集した『英語教育史重要文献集成』(2017年、ゆまに書房)の第1巻「小学校英語」として、その時使われていた教科書が復刻されています。しかし、小学校の一教科だった英語科は1912(明治45)年に廃止されてしまいます。注目しなくてはいけないのは廃止の理由です。① 教える力量を備えた教員が圧倒的に不足したこと、②当初思い描いていた効果が上がらなかったこと、③ 小中連携が十分図れなかったことなどがその理由なのですが、いずれも現在の小学校英語の問題点と瓜ふたつです。歴史から学ぶべきことはたくさんあります。

 吉田さんの発表からうかがえるように、小学校英語が抱えるさまざまな問題によるしわよせは、結局のところ、実践現場である小学校の先生がたに押しつけられるという、これまた、いまも昔も変わらない展開が見られるというのが実情です。わたくしのところに寄せられた、先生がたからの相談メールはすでに千通をはるかに超えました。

 もちろん、成功例がないわけではありません。しかし、ここで重要なのは成功例を挙げることではなく、現状に苦しむ、多くの先生がたに寄り添い、問題の解決に向かって行動することだと強く思います。


3 小学校英語を意義あるものにするためにいま何が必要であるのか

 小学校英語に限ったことではないのですが、日本の学校英語教育にほぼ決定的に欠落している視点が「ことば」という視点です。英語で言えば、無冠詞、抽象名詞としてのlanguageです。ごく簡単に言ってしまえば、人間が母語として身につけることができる言語(「自然言語」と呼びます)はすべて共通の基盤の上に構築された体系(システム)であるという考えです。この考えに従えば、日本語と英語は異なった言語ではあるが、両者は共通の基盤の上に構築された体系であるということになります。湯澤さんのお話に関連する「母音」「子音」などの概念はその共通の基盤に属します。異なっているのは、それぞれの言語がどの母音を使うのか、どの子音を使うのか、そして、両者をどう組み合わせて単語を作るのかという点です。子どもたちに母語を使ってこの基盤に気づかせておけば、英語を導入した際、「音節」と「拍」の違いについて気づかせることが容易になります。さらに、日本語から導入を図ることはディスレクシアへの対応という観点からも重要なことと考えます。お気づきと思いますが、この観点からもローマ字教育の充実が俟たれます。これらの点で、池田さんの実践はすばらしく、弁別素性を駆使した最小対の巧みな利用からたくさんのことを学ばせていただきました。

 湯澤さんたちの実践についてはご著書『ワーキングメモリと英語入門』のp.37にある「これまで日本語をとおして培ったさまざまな知識や経験をもとにすることで、日本の子どもも、この教材を用いて英語を初歩から学んでいくことができます」の前段部分には大賛成です。ただ、フォニックス実践の前段階として、日本語の音韻構造への気づきを日本語を使って体系的に促しておくことが必要だと思います。

 もう一点、基礎概念の一つである「最小対」をもっと広範な構造で活用する、ことに、脚韻(rhyme)を積極的に利用するとよいと思います。たとえば、有名なDr. SeussシリーズのHop on Popに出てくる、


SAD

DAD

BAD

HAD

Dad is sad.

Very, very sad.

He had a bad day.

What a day Dad had!

(pp. 32, 33)


などは格好の教材ではないでしょうか。ちなみに、脚韻の利用は英語の語アクセントは語末からの構造によって決定される(Chomsky and Halle 1968=SPE、大名 2014, 2021など)ことへの導入にも役立つと考えられます。

 これまでの議論を踏まえた上で、ここで明確にお伝えしたいことは外国語学習において母語は「干渉」という用語に象徴されるように、なにかと悪者扱いされますが、そうではなく、外国語学習の支援者と位置づけることが重要であるということです。

 この観点から、わたくしは学校教育において、国語教育と英語教育/外国語教育を連携することが必要と考え、それを「日本型複言語・複文化主義」と名づけています。ほんとうはその話をさらに展開したいのですが、時間の制約もありますし、指定討論者としては越権行為のそしりを免れることができなくなるかもしれませんので、断腸の思いで控えることにいたします。ただ、一言だけ、この考えは現在の学習指導要領の中にも密かに埋め込まれているということを指摘させてください。

 ここで、話題提供者の皆さんにそれぞれ一問ずつ質問をさせていただき、わたくしの指定討論を締めくくらせていただきたいと思います。

 【以下は予定稿です。実際は、発表を聴いての(一部)アドリブとなりました。】

 まず、池田さん、一番バッターとしての「小学校英語概観」の部分はお疲れさまでした。ここでは池田さんご自身のすばらしい実践について伺いたいと思います。母語を使っての音韻認識指導を重ねてこられた池田さんからすれば、音韻論のきちんとした知識も持たずに音韻認識指導に関わることの危険さをひしひしと感じておられるのではないかと思います。そこで、英語教員養成における音韻論教育、あるいはもっと広く言語学教育の位置づけについてどうお考えなのか、お聞かせいただきたい。

 針生さんにはこの質問をしたいと思います。母語獲得と外国語学習が異なった過程であることは間違いないと断言することに賛同いただけると思いますが、そうであるとすると、針生さんのような母語獲得の研究者はそのこと自体で外国語学習の問題に貢献できないということになるのでしょうか。もしそうでないとお考えなら、どのような点で、どのように貢献できるかを教えてください。

 湯澤さんにお答えいただきたいのはこの問題です。さきほど触れた点と関連しますが、音韻認識の育成については、まず、直感が利く母語を使って音韻認識を高め、そのあと、フォニックスを使って英語を学ぶことによってその音韻認識を立体的なものにするというやり方が望ましいとわたくしは考えますが、この考えについてどうお思いになるか、教えていただきたいと思います。

 最後に、吉田さんに対する質問は2段階式です。まず、現状を離れて考えたとき、吉田さんは小学校での外国語活動/教育は学校英語教育にとって必要なものであるとお考えでしょうか。必要なものとお考えであるのなら、その目的と目標はどうあるべきとお考えなのか。ご教示ください。

 お尋ねしたいこと、議論したいことはこれ以外にもたくさんあるのですが、時間の制約がありますので、以上に留めておきます。

 わたくしの発表に対する質問、意見などはoyukio@sfc.keio.ac.jpへお寄せください。件名欄に「日本教育心理学会シンポジウムについて」と書いていただけると見逃す心配がないかと思います。また、ただいま読み上げた、この原稿は一般社団法人ことばの教育のサイトにある「大津研ブログ」に文献情報とともに掲載しておきます。

 本日のシンポジウムが小学校英語にとって、小学生たちにとって、先生がたにとって意義深いものになることを念じて、わたくしの指定討論を終わりたいと思います。ありがとうございました。


【注】phonological awarenessの訳語としては「音韻意識」や「音韻認識」ではなく、「音韻への気づき」のほうがより適切と考えるが、ここでは話題提供者が選んだ「音韻認識」を用いた。


【文献】

江利川春雄. 2008. 『日本人は英語をどう学んできたか---英語教育の社会文化史』研究社

大名力. 2014. 『英語の文字・綴り・発音のしくみ』研究社

大名力. 2021. 『英語の綴りのルール』研究社

湯澤美紀・湯澤正道・山下桂世子. 2017. 『ワーキングメモリと英語入門---多感覚を用いたシンセティック・フォニックスの提案』北大路書房

Chomsky, Noam and Morris Halle. 1968. The sound pattern of English. Harper & Row.

Dr. Seuss. 1963. Hop on pop. Random House.


【大津による関連著作】

大津由紀雄・窪薗晴夫. 2008. 『ことばの力を育む』慶應義塾大学出版会

大津由紀雄・浦谷淳子・齋藤菊枝. 2019. 『日本語からはじめる小学校英語---ことばの力を    育むためのマニュアル』開拓社

大津由紀雄・亘理陽一(編)準備中. 『危機に立つ小学校英語のあとさき(仮題)』慶應義塾大学出版会


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