藤原さんの『若き数学者のアメリカ』(文庫版は1981年刊行ですが、そのもとの本はたしか1977年刊行だったと思います)はわたくし自身がアメリカに留学していたときに読んで、勇気づけられた思い出があります。
藤原さんは、その後も、たくさんの著作を出していますが、その「祖国愛」には違和感を覚えるところもあり、実際、今回の論考もすべての主張にもろ手を挙げて賛成というわけではありません。
ただ、今回の論考の副題にある「大学入試改革は産業界主導の愚民化政策である」という主張には大いに賛成できます。藤原さんはこう書いています。少し長いのですが、引用します。
— [今回の大学入試改革において決定的な問題点は、(大津)] この改革が経済界のイニシアティプで進められてきた、ということだ。この改革の青写真は、二〇一三年十月に教育再生実行会議が発表した第四次提言である。そしてこの提言は、産業競争力会議のお墨つきを得たものを具体化したものと言える。産業競争力会議とは、アベノミクスにおける第三の矢「成長戦略」を議論するために設けられた首相直下の会議である。二O一三年三月の産業競争力会議において、当時の下村博文文科大臣は、「産業競争力会議と教育再生実行会議とが、一グローバル人材の育成や国立大学改革などに関し、車の両輪として互いに連携をとりながら、成長戦略を描いて行きたい」という趣旨の発言をしている。そしてその年の四月および五月の教育再生会議では、下村文科相が産業競争力会議の内容を紹介し、それをたたき台として議論が進められたことが議事録からうかがえる。産業競争力会議のメンバーのほぼすべては政治家と経済人で、教育再生実行会議のメンバーの約半数は教育界の人間ではなかった。 その後、文科省の審議会も検討を加えたが、今回の大学入試改革は出発点から不幸なスタートだったのである。「人聞を育てる」が教育の目的なのに、恐るべきことだが、「産業競争力の強化」が最大の目標だったのだから。(pp.98-99) —
以前から繰り返し述べていることですが、この産業界主導の政策は決して「英語が使える」日本人を育成することにはつながりません。はりぼて英語を身にまとった、ぺらぺら人間が増えていくだけです。英語を創造的に使えるようになるためには、まずは文法と語彙を基盤に据えた英語力を身につけることが不可欠です。そして、そうして身につけた英語力を活用するための「教養」(これは藤原さんのお好きなことばです)と思考力を備えておく。現在の「コミュニケーション」指向の英語教育にはこうした理念が決定的に欠けているということ、このやり方を続けていくと結局自分で自分の首を絞めることになってしますことに、産業界の人たちもそろそろ気づいてもよいと思うのですが。
【修正】上記藤原正彦さんの文章の引用に一部間違いがありましたので、修正しました。ご指摘くださった亘理陽一さんに感謝します。 二〇二二年十月に教育再生実行会議が発表した第四次提言である⇒ 二〇一三年十月に教育再生実行会議が発表した第四次提言である (2020年1月7日午後12時59分)
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