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「破廉恥」の力とESAT-Jの破廉恥さ

更新日:2022年7月14日

ESAT-J(もう解説の必要もなくなったと思いますが、東京都が都内の公立中学の3年生を対象に実施を予定している英語スピーキングテストのこと)のおかげで「破廉恥」の力を知ることとなりました。


ことの発端は2022年7月5日付で配信された、「スピーキングテスト、問題点次々 採点ミスがあっても「闇の中」? 不受験者の点数、他人の結果から算出…」と題された、EduAの記事(石田かおるさん、山下知子さんの署名記事)です。ESAT-Jを受けなかった/受けられなかった都立高校志願者に対して行うESAT-J得点の推計方式の問題点を指摘した部分につぎの件が登場する。


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大津さんは言う。「英語学力検査とESAT-Jに高い相関があるのであれば、ESAT-Jを導入する必要はありません。低い相関しかないのであれば、不受験者の算出方法は謎としか言いようがありません。こんな破廉恥なテストは撤回すべきです」

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このわたくしのことば、2022年6月25日に宝仙学園中学校・高等学校の教室をお借りして実施した、一般社団法人ことばの教育主催の「都立高校入試利用の英語スピーキングテストについて考えよう!」という集会で発したものです。


「破廉恥」---「廉恥を破(は)す」、つまるところ、「恥知らず」ということですが、最近はあまりお目にかかることがないことばであることもあってか、読者にかなり強い印象を与えたようです。実際、ある高名なかたが「いつも冷静な大津由紀雄さんが「こんな破廉恥なテストは撤回すべきです」と言う都立高入試スピーキングテスト」とつぶやいたと知人が教えてくれました。このつぶやきは結構拡散されているようです。


「破廉恥」はつまるところ、「恥知らず」と書きましたが、ほんとうのところはそれ以上の含みがあるように思います。試しに、『新明解国語辞典第8版』(三省堂)で、「廉恥」の項を引くと「「廉」は、分限を知り、利欲の念が無い意」とした上で、「心が清らかで、恥じるべきことを知っていること」とあります。「利欲の念が無い」と「心が清らかで」という部分が重要なのです。つまり、《邪念がなければ、こんな問題の多いテストの導入は考えもしないだろうに》という気持ちをうまく載せることがことができることばなのです。


【注:加えて、1970年ごろにすでに物心がついていた人たちにとってはなんと言っても、永井豪の「ハレンチ学園」という漫画の印象が強いと思います。当時としてはかなり強烈な性描写が話題となったあの作品のことです。それもあって、かたかなで表記された「ハレンチ」はやはり性の扱いに関して恥知らずであるという記憶が呼び起こされ、ESAT-Jの議論の中で多くの読者が「新鮮味」を覚えたということがあるかもしれません。】


いずれにしても、一連の議論の文脈で重要なのは、なぜわたくしがESAT-Jを「破廉恥」と感じたかをみなさんにきちんと知っていただくことです。以下、説明します。


EduAの記事の該当箇所は、ESAT-Jを受けなかった/受けられなかった都立高校志願者(以下、単に「不受験者」)に対して行うESAT-J得点の推計方式の問題点について書かれた部分にあります。ですから、問題は、なぜわたくしは不受験者に対して行うESAT-J得点の推計方式を「破廉恥」と感じたのかという問いになります。


もうご存知の方も多いと思いますが、その推計方式というのは以下のとおりです。まず、ESAT-J不受験者を含めた全対象者を英語学力検査の得点に従って順位づけします。番付表を作るということです。つぎに、ESAT-J不受験者と英語学力検査の得点が同じか、ほぼ同じ受験者を一定の方式に従って数名選びます。その受験者たちを「推計対象集団」と呼ぶことにしましょう。推計はその推計対象集団のESAT-Jの結果を平均することで行います。


【注(問題点を手っ取り早く知りたいというかたは後で読んでください):ESAT-Jの結果は数値ではなく、A、B、C、…という評価域で表されていますので、一定の基準によって数値化し、その平均値を求め、それをさらに、A、B、C、…という評価域に換算するという、じつにめんどうな手順を踏みます。いわば、冷凍した魚を一度解凍し、冷凍し直すようなものです。この点も問題含みなのですが、今論じていることとは一応独立のことですので、棚に上げておきます。】


この推計方式は英語学力検査の結果とESAT-Jの結果の間に相当程度に高い正の相関が認められることを前提としています。ということは、東京都教育委員会はこれまで3度にわたって行った「(確認)プレテスト」の結果から、このことを確認しているものと考えていました。


ところが、そうではないと都立学校教育部長が発言したのです。この点は2022年6月5日付の当ブログの記事で指摘しました。以下、再録します。


時間と場所は、2022年5月27日に開催された東京都議会文教委員会の席上でです。幸い、動画が公開されていますので、どうぞご自身で確かめてください。


ESAT-Jについてのやりとりは開始後1:09ごろから始まります。そして、問題の発言は開始後2:04ごろに飛び出します。英語学力検査の結果とESAT-Jの結果の間に相関はあるのかという、戸谷英津子議員(理事)の質問に対する、村西都立学校教育部長の答弁です。

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具体的な相関関係のデータはただ今持っておりません。ただ、繰り返しになりますが、都立高校入試におきましては多様な事情を抱えた受験者がいることを考慮した特例的な措置は必ず必要となります。そうした措置の一つであると考えております。

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【注:この村西部長の「ただ、」以降は質問とは関係のない、的外れの「回答」であることにも注意してください。】


なぜこんな回答をしたのか。ここは推測ですので、間違っていたら、部長さん、指摘してください。《だって、ほかに答えようがないじゃないですか!》。そうですよね、「正解」は「強い相関がございます」ということはすぐに計算できたと思いますが、そうは言えないのです。そう言ってしまったら、《それならそもそもESAT-Jなどやる必要はないじゃないか》という話になってしまいますからね。かと言って、「相関はございません」とも言えない。そう言ってしまったら、推計方式の基盤を否定することになってしまうからです。


前にも進めない、後ろにも下がれない、ということになれば、あとはとぼけるしかない。そこで、「具体的な相関関係のデータはただ今持っておりません」と答えたのでしょう。でも、「ただ今持っておりません」という言い方が気になりました。そこで、2022年6月5日付の当ブログの記事でこう続けました。


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ないとは思いますが、「具体的な相関関係のデータはただ今持っておりません」というのは「手元にないということで、オフィスに戻ればデータはあります」ということば遊びを弄してきたら、戸谷さん、「では、そのデータを開示してください」と追及してください。


もう一つ、「ESAT-Jの本番はこれからでございますので、データはあるはずもございません」という回答が出てきたら、「3回にわたるプレテストや確認プレテストの結果を活用することはなさらなかったのですか」とお尋ねください。


いずれにも、「秘匿事項でございます」と逃げるかもしれませんが、ますます怪しさが醸し出される効果は期待できます。

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うさん臭い話だということがお分かりいただけたのではないでしょうか。もう少し話を続けます。


上の推計方式は大内裕和さんたちが繰り返し指摘するように他人任せ方式です。つまり、ESAT-Jに欠席すると、受けた場合の結果を自分以外の生徒の成績から推定されてしまうのです。このやり方がどんなに不合理なものであるのかを説明しましょう。


あなたとあなたの友人がESAT-Jを欠席したと仮定しましょう。推計が始まります。まず、英語学力検査の結果の「番付表」が参照されます。その結果、あなたの方があなたの友人よりも上位にランクされたとします。そして、推計対象集団の生徒のESAT-Jの得点を平均することで、あなたのESAT-Jの(仮)得点が推計されます。あなたの友人の場合も同じです。


そのときに、こんなことも起こりうるのです。あなたのESAT-Jの得点を推計するのに利用された生徒(推計対象集団)のESAT-Jの得点があまり高くなかった。反対に、あなたの友人の場合には、推計対象集団の得点が高かったとします。すると、英語学力検査とESAT-Jの結果を併せた総合成績において、あなたとあなたの友人のランクが逆転してしまうことが起こりうるのです。


まだ留目は刺されていません。


じつは、さきほどの番付表、全受験者を対象として作られるのではないのです。個々の高校ごとに、その学校への入学志願者を対象に作られるのです。つまり、対象になる人数が非常に小さくなりますから、偶然のいたずらが入り込む余地がそれだけ大きくなるのです。


以上、なにか複雑な議論をしているのではありません。ごく単純なことを整理して述べただけで、少し考えれば、ほんとうに少し考えれば、だれでも気づくことです。さらに、そのことを指摘されても、そこに問題を感じ、真摯に対応しようとしない。やはり、「清い心」が欠けているのでないでしょうか。


ESAT-Jに破廉恥さを感じるのはこれだけではありません。すでに長くなりすぎているので、もう一点だけ、ごく簡単に述べます。


ESAT-Jの開発と実施にあたり、東京都教育委員会と協定を締結している株式会社ベネッセコーポレーションが実施しているG-TECと酷似していることは2022年3月17日配信のEduAで詳しく論じられているとおりです。


テストの構成、出題形式、問題数、パートごとの冒頭説明、採点基準、どれをとってもそっくりです。同じ記事の中で、「似ているのでは」と問われた、都教委の担当者は「似ていたとしても違う」と答えたとされています。さらに、「似ているというが、音読や応答、ストーリーを話す問題は他の英語民間試験でも採り入れられていて、GTECだけではない」と語ったそうですが、テストの構成、出題形式、問題数、パートごとの冒頭説明、採点基準のすべてについてこれだけ酷似したテストがあるのであればぜひ教えていただきたい。


いかがでしょうか。どう考えても、「破廉恥」としか言いようがありません。こと、ここに及んでは、「担当者」が決済できるレベルの話ではありません。教育長、教育委員、あるいは、教育庁上層部の決断が必要です。心を清くして、理にかなった方向へことを導いていただきたい。強くそう願います。

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