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岡崎正継先生のこと


立教高校時代に大きな影響を受けた、講師の先生がもうお一人います。古文を教えていただいた岡崎正継先生です。


ネットで先生の情報を探ってみますと、「岡崎正継[オカザキ マサツグ]昭和九年高知県に生まれる。國學院大學助手、助教授、教授を経て、現在、國學院大學名誉教授。博士(文学)」とあります。昭和9年は西暦でいえば1934年です。わたくしが立教高校へ入学したのが1963年、教えていただいたのはたしか、2年生と3年生の時ですから、30歳におなりになるかならないかという頃だったことになります。国学院で助手を務めておいでだった頃なのかもしれません。



先生の授業は文法が中心だったように記憶しています。試験の問題も動詞と助動詞を指定して、その2つを適格な形で連結せよといった問題も出ました。文法の「おもしろさ」とは言いませんが、システムとしての文法のすばらしさを実感させていただいた、強烈な印象があります。


これも記憶が正しければですが、先生は陸上の、たしか、中距離か、短距離をおやりになっていて、国体にお出になったという話をされていたように思います。その「脱線」のつかみは途中で転倒してしまうというくだりです。


先生はその風貌から「ソニー坊や」というあだ名で呼ばれていました。まじめで、冗談をお

っしゃるときも、前髪を撫でながら、大いに照れておいででした。


わたくしは岡崎先生に憧れ、先生の、いまでいう丸文字っぽい(先生、すみません!)字体をまねして喜んでいました。中間試験や定期試験の前はそのまね文字で予想問題を作り、けっこうあたるので仲間から喜ばれていました。


憧れが募り、推薦で立教大学へ行くのは止めて國學院大學へ行くと担任(古典の先生=山根先生、この先生もすばらしい先生でした)に申し出て、諫められたこともあります。そのときの会話。

大津:先生、ぼく、国学院を受験したいのですが。

山根:岡崎先生がいらしゃるからだな。

大津:はい。

山根:それで何をやりたいんだ。

大津:「徒然草」の思想をやりたいんです。

山根:大津、それは何十年早い。どうせやるなら、「源氏」だ!

山根先生もまた個性的な先生で、修学旅行にはブラックハットに黒いサングラスで現れるおしゃれな先生でした。授業では「源氏物語」をじつに艶っぽく語る。そんな先生でした。《年端もいかないお前に兼好法師の心は探れん》というメッセージに託して、当時のわたくしの、岡崎先生に対する憧れだけから思いついた他大学受験を諫めてくださったのでした。


その後、知ったことですが、岡崎先生には『国語助詞論攷』(1996年、おうふう)というご本のほか、たくさんの著書、編著がおありです。古典文法の本質を知った先生に教えていただいた幸運をいまさらながらにありがたく思います。


先生はわたくしが卒業してからもわたくしのことを覚えていてくださって、英語のスピーチコンテストで入賞して、その記事が新聞に載ると、「がんばっていますね」といつもお便りをくださいました。


言語学を志すようになって、一度お目にかかってと思いながら、まだその機会を得ていません。どなたか、先生の近況をご存知の方がおいででしたら、ご教示いただけると幸いです。わたくしが探しえた、もっとも新しい情報は以下です。

http://pr.kokugakuin.ac.jp/campus/2014/02/18/214802/


【補足】「ソニー坊や」というのはSONYのマスコットですが、「「ソニー」坊や」ではなく、「「ソニ」坊や」と言うのだと思い込んでいました。しかし、ネット上にそのような情報はありません。ただ、ソニーの前身である東京通信工業が作っていた(オープンリールの)テープは「Soni-Tape」と呼ばれていたので、それと混同したのかもしれません。

http://web.thn.jp/wbf/history/pix/soni_tape.htm

ちなみに、この記事、わたくしと同世代の(ちょっとだけでもメカに関心があった)方々ならとてもなつかしく思うのではないでしょうか。


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