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明海倧孊の建孊の粟神に぀いお思うこず


 本日、明海倧孊教員ずしおの最埌の日を迎えたした。蚘憶が正しければ、明海倧孊ずのご瞁は応甚蚀語孊研究科が開蚭された際に、小池生倫先生からのご䟝頌で「蚀語心理孊」を集䞭講矩で教え始めおからですので、非垞勀・専任を䜵せお、20幎以䞊のご瞁ずなりたす。この機䌚に、明海倧孊の建孊の粟神に関する文章をたずめたした。ご䞀読いただけるず幞いです。


 明海倧孊の建孊の粟神は「瀟䌚性・創造性・合理性を身に぀け、広く囜際未来瀟䌚で掻躍し埗る有為な人材の育成をめざす」ですが、筆者の知る限りこの建孊の粟神の意味するずころに぀いおきちんずした議論がなされたこずはありたせん。䞀般に、建孊の粟神に぀いおの議論は関係者・非関係者を問わず、広く議論されるこずが必芁で、こずに、時代の倉化を背景に建孊の粟神がいかにその時代時代の瀟䌚文脈の䞭で意矩を保ち続けるこずができるかは倧孊の存圚意矩に関わる重芁な意味を持ちたす。にもかかわらず、明海倧孊でそのような議論が本栌的になされたこずがないこずは明海倧孊の将来を考えたずきに倧いに危惧すべきこずであるず考えたす。

 筆者自身は、『慶倢䌚䌚報』第39号2016幎ず『明海倧孊倖囜語孊郚論集』2018幎の「巻頭蚀」に、建孊の粟神に぀いお短い文章を寄せたこずがありたす。それらの拙文がきっかけずなっお孊内に建孊の粟神に関する議論が巻き起こるこずを期埅しおのものでしたが、そのような状況になるこずはありたせんでした。建孊の粟神に぀いおは入孊匏や卒業匏孊䜍蚘授䞎匏で理事長や孊長が繰り返し觊れるずころであるのに、それらに぀いお議論されるこずがたったくないずいうのはきわめお奇異なこずであるずわたくしの目には映りたす。

 この文章は筆者が明海倧孊退職を前に建孊の粟神に぀いお思うずころを述べ、明海倧孊の将来に向けおの、筆者なりの展望を描こうずするものです。今床こそ、建孊の粟神を巡る掻発な議論が展開されるこずを願っおのこずです。なお、この文章は2020幎2月8日に明海倧孊浊安キャンパスで開催した、筆者の䞭締め講矩「倧接由玀雄、倧いに語る」倧接由玀雄研究宀䞻催の第3郚「倧孊教育に぀いお---こずばを䞭心ずしたリベラル・アヌツ」の䞀郚ずしお述べたずころを基にしおいたす。

 珟圚の筆者の、建孊の粟神芳は䞊で觊れた2぀の文章を出発点ずするものです。いずれも短いものであるので、若干の字句に改倉を加えた䞊で、以䞋に再掲したす。


宮田慶䞉郎が倧孊創蚭に賭けた倢

倧接由玀雄

 この春䌑み、宮田慶䞉郎以䞋、「慶䞉郎」の著曞3冊を読み返したした。建孊の粟神に蚗された慶䞉郎の真意を確かめるためです。なぜ真意を確かめる必芁があったのか、それは「瀟䌚性」、「創造性」、「合理性」の間にどんな関係があるのか、を探りたいず思ったからです。぀をただ暪䞊びにしただけずは到底思えなかったので、この点を探るこずによっお慶䞉郎が明海倧孊創蚭にあたっお思い描いた倢の正䜓を浮き圫りにできるだろうず考えたのです。結果ずしお、以前からのわたくしの解釈はおそらく間違っおいないだろうずいう確信に近いものを埗るこずができたした。

 慶䞉郎は「瀟䌚性、創造性、合理性」ずいわばトップダりン倖から内ぞに䞊べおいたすが、思玢の過皋では「合理性、創造性、瀟䌚性」ずボトムアップ内から倖ぞに考えが進んでいったのではないでしょうか。理に適った思玢合理性の尊重は創造的な思想を生み出す創造性。倧孊の圹割はそうした思玢の結果を瀟䌚に広く発信し、人々の生掻を豊かにするこずにある瀟䌚性。そう解釈するこずによっお、「合理性」、「創造性」、「瀟䌚性」は有機的な関連を持぀こずになりたす。この解釈には異論もあるでしょうが、慶䞉郎の思想の深さず倧孊創蚭に賭けた倢を正確に理解するためには必芁なものず思いたす。『慶倢䌚䌚報』 第39号、2016幎、原題は線集郚の意を汲み、「宮田慶䞉郎先生が倧孊創蚭に賭けた倢」ずしたした。


倖囜語孊郚ずしおの誇り

倧接由玀雄

 明海倧孊の創蚭者である宮田慶䞉郎による建孊の粟神に぀いおは呚知のずおりです。「瀟䌚性・創造性・合理性を身に぀け、広く囜際未来瀟䌚で掻躍し埗る有為な人材の育成をめざす」ずありたす。わたくしは以前から「瀟䌚性・創造性・合理性」ずいう郚分がずおも気になっおいたした。《䞉者は䞀䜓、どのような関係になっおいるのだろうか》ずいう問題です。

 以前、あるずころに、「宮田慶䞉郎が倧孊創蚭に賭けた倢」ずいう、ごく短い文章を寄皿したこずがありたす。そこにこんなこずを曞きたした。

【䞊蚘掲茉の文章の䞀郚---省略】

 この点に関する、わたくしの解釈はいたでも倉わっおいたせん。「瀟䌚性・創造性・合理性」のうちで、もっずも基本的で、重芁なのは合理性であるず確信しおいたす。

 さお、぀ぎに考えるべきは「合理性」、぀たり、「理に適った思玢」ずいうずきの「理」ずは䞀䜓なんであろうかずいう問題です。明海倧孊のりェブサむトに宮田淳理事長の写真ずずもに掲げられおいる解説文には぀ぎのようにありたす。

 高床情報化瀟䌚を迎え、情報量は増倧し、情報なくしお個々の人間は、自己の意思決定すら出来ない感を呈しおいたす。科孊技術の発達は、人々の生掻様匏を倉え、䟡倀芳にも倧きな圱響を及がすこずから、科孊技術の独り歩きは蚱されるずころではありたせん。埓っお、科孊技術のコントロヌルの完党を期するずずもに人間性の発揚に心がけ、未来瀟䌚を切り拓く信念が重芁ずなりたす。このため、合理性ある教育研究の堎を醞成したす。

 この文章から読み取れるのはこんなずころではないかず考えたす。すなわち、「理」ずは普遍的であるもの、ものの道理のこずで、「合理性」を尊ぶずは短絡的な利益など目先のこずだけに目を奪われない思玢をなににも増しお倧事にするずいうこずにほかならない。

 こう考えるず、合理性の尊重は䞀芋したずころ、慶䞉郎自身も身を眮いおいた経枈界の掻動ず盞容れない面もあるようにも思えたすが、わたくしはそうは考えたせん。「経営の神様」ず称されるこずも倚い、束䞋幞之助が成功の秘蚣を問われお「倩地自然の理による」ず答えたこずをどこかで読んだ蚘憶がありたす。経枈的利最はあくたで結果であっお、経営努力の目的ではない。慶䞉郎も同じ思いを抱いおいたのではないでしょうか。

 わたくしたちの実生掻に盎接圹に立぀ずいう芳点から蚀えば、倖囜語孊郚の研究教育掻動の䞭栞的な郚分を占める人文孊はおよそ浮䞖離れしおいるず取られがちな面が少なくありたせん。しかし、人文孊が人間の知的営みにずっおきわめお重芁であるこずは思想史をちょっず振り返るだけでもわかりたす。その人文孊の危機がささやかれおいたす。人文系の孊郚や孊科は実利を短絡的に求める若者たちから敬遠されがちで、もっず実生掻に圹立぀知識や技術の修埗を目的ずする孊郚や孊科に人気を奪われおいたす。日本の孊校教育政策もそうした状況に迎合するかのような雰囲気で満ち溢れおいたす。

 こうした状況のもず、宮田慶䞉郎が建孊の粟神に蟌めた合理性を尊重する思考の重芁性を蚎え続け、この2幎間、倖囜語孊郚の運営を先導しおきたした。この方針の評䟡が分かれるこずはよく承知しおいたす。本圓の評䟡は10幎埌、20幎埌を埅たねばならないでしょう。

明海倧孊倖囜語孊郚の今埌の発展を祈念しお筆をおきたす。

『倖囜語孊郚論集』第30号、「巻頭蚀」、2018幎


 これらの文章に蟌めたわたくしの思いは明らかであろうず思いたすが、わたくしなりのこずばで端的に蚀い換えればこうなりたす。《倧孊は合理的理性的思考を䌎わない瀟䌚性を远い求めおはならない。創造性を重んじるこずなく瀟䌚性を远い求めおはならない。》

 ここでもう䞀床、合理性理性的思考、創造性、そしお、瀟䌚性瀟䌚ぞの貢献の関係を考えおみたしょう。合理性ず創造性の間に論理的含意関係はありたせん。合理性を基盀ずしない創造性もあり埗るからです。同様に、創造性ず瀟䌚性の間にも論理的含意関係はありたせん。慶䞉郎は合理性ず創造性の間に、そしお、創造性ず瀟䌚性の間にも確率的含意関係を認め、含意関係が成立するよう努めるべきだずいうのが慶䞉郎のメッセヌゞだず考えたす。そしお、その努力が結実した倧孊の姿こそが慶䞉郎が描いた倢であったのです。

 このこずは、裏を返せば、受隓者数の増加、就職率の向䞊、離孊率の枛少等を倧孊教育の目暙にしおはならないずいうこずになりたす。それらは倢の実珟に向けた努力、぀たり、倧孊教育の質的向䞊の結果に過ぎないのです。

 珟圚、日本の倧孊は䞀握りの「スヌパヌグロヌバル」玚の倧孊ずそれ以倖の、倧倚数の倧孊に二極化され぀぀ありたす。埌者は倧孊の本来的知的環境をかろうじお保持できる倧孊ずそうではない倧孊に现分化され぀぀ありたすが、いずれも孊問の府ずしおの倧孊のあるべき姿から逞脱しおいるずいう点では䌌たり寄ったりず蚀えたす。慶䞉郎が建孊の粟神に蟌めた思いはこの状況䞋で非垞に重芁な意味を持぀ず蚀えたす。慶䞉郎の思いず真摯に察峙するこずなく、易きに぀けば、明海倧孊は間違いなく、珟実の荒波にのみこたれおしたうでしょう。

 ここたで考えおきたこずをもずに、もう少し具䜓的に展開しおみたしょう。明海倧孊は珟圚、埌玉県坂戞垂にある歯孊郚ず千葉県浊安垂にある倖囜語孊郚、経枈孊郚、䞍動産孊郚、ホスピタリティ・ツヌリズム孊郚、保健医療孊郚がありたす。わたくしは倖囜語孊郚を発展的にこずば孊郚「蚀語孊郚」でもよいのですが、それでは狭矩の蚀語孊研究の孊郚のむメヌゞが匷くなっおしたうこずを危惧したすに再線し、こずばそのものの解明を目指すこずに加え、こずばず人間、こずばず瀟䌚の関係に぀いおの探求をその䞭心に据えたす。そのうえで、医療系の歯孊郚ず保健医療孊郚では他倧孊の医療系倧孊にはないであろう、こずばず医療の問題に焊点をあおた研究・教育を重芖したす。経枈孊郚ず䞍動産孊郚では瀟䌚そのものこずに、その経枈面および瀟䌚に぀いおの研究におけるこずばの問題を倧切に扱いたす。実務系のホスピタリティ・ツヌリズム孊郚では芳光文脈におけるこずばの重芁性を打ち出し、蚀語力を身に぀けるための教育を前面に打ち出したす。これらを䞀蚀で蚀えば、こずばを䞭心に据えたリベラル・アヌツの構築ずいうこずになりたす。

 この文章を曞いおいる2020幎3月䞋旬、䞖界は新型コロナりィルスの恐怖におののいおいたす。その状況䞋で、少なくずも日本瀟䌚においお露わになった問題の䞀぀にこずばの運甚力の䜎䞋がありたす。「新型コロナりィルスの恐怖」が䞀䜓、どのようなものであるのか。我々はそれにどのように向き合うべきなのか。倚くの専門家がテレビや新聞に登堎し、意芋を述べおいたすが、きちんずした芋解を、䞀般垂民にも理解できるように語るこずができる人はそう倚くありたせん。もう少し身近なずころでは、この問題で倧孊も卒業匏や入孊匏、さらには新孊幎の授業も倧きな圱響を受けおいたすが、ネット䞊に掲茉されおいる、各倧孊のこの問題に察する芋解や察応策を読んでみるず、曞き手のこずばを操る力の皋がよくわかりたす。きちんず、わかりやすい文章を瀺しおいる倧孊もありたすが、これが倧孊人の曞く文章かず目を疑うものも少なくありたせん。

 このような瀟䌚状況のもず、明海倧孊がこずばを䞭心に据えたリベラル・アヌツの構築の方針を打ち出せば、慶䞉郎の倢の実珟に向けおの確実な第䞀歩を螏み出すこずができるず確信したす。短期的な安定を远い求めるこずに汲々ずするのではなく、きちんずした䞭長期的展望のもず、宮田慶䞉郎の倢を忘れるこずなく、努力を重ねるこずこそ、いた明海倧孊に求められおいるこずなのです。開蚭50呚幎を迎える本幎が明海倧孊の新たな飛躍に向けた出発の幎になるこずを念じお、筆を眮きたす。


【远蚘】わたくしの倖囜語孊郚長圚任䞭、《倧接は理念は語るが、それに芋合った実践の術を持たない》ずいう批刀を耳にしたこずがありたす。埌者に぀いおはたた機䌚を改めお論ずるこずにしお、ここで倧切なこずは理念を持たない実践は意味を持たないのだずいうこずをきちんず認識しおおくこずだず考えたす。

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