萩原 裕子
Hiroko Hagiwara
1955 – 2015
裕子さん、お疲れさまでした。 最初にお会いしたのは、あなたがマギル大学から博士号を授与された1987年の少し前ではなかったかと思います。日本女子大学の出身ということで、井出祥子先生にご紹介いただいたように記憶しています。当時は、わたくしの研究領域である言語心理学にしても、あなたの研究領域である神経言語学(この名称、ちょっと古臭い感じもしますね)にしても、日本ではほとんど研究者がいない状況でした。 また、当時は、日本の言語心理学の先駆者のひとりである原田かづ子さんがいらっしゃった金城学院大学にあなたが籍を置いていたこともあり、原田さんを交えて、よく議論をしましたね。 言語心理学のほうは、少数とはいえ、原田さんのほかにも興味を共有できる人がいましたが、神経言語学のほうはそれよりもずっと淋しい状態でした。そこで、裕子さんに「言語学的失語症学」についての連載を書いてもらおうと思い立ち、明治書院から出ている『日本語学』に売り込みました。当時、編集部にいらっしゃった藪上信吾さんはその申し出を快諾してくださり、1989年から90年にかけて、「生成文法理論と失語症研究-失語症患者の言語知識について」、「文法理論構築における失語症資料の役割」、「統語理解障害における言語普遍性」という3本の論考が掲載されましたね。 同じころ、当時、わたくしが所属していた慶應義塾大学の言語文化研究所に来てもらって、言語学的失語症学に関する、数日間にわたる集中ワークショップを開催したのも楽しい思い出です。 東京都立大学にいらっしゃった中島平三さんから神経言語学でいい人はいないかとの問われ、迷うことなく、裕子さんを紹介したのもそのころのことです。 それから先の活躍ぶりは広く世に知られているとおりです。徐々に裕子さんからいろいろな人を紹介してもらうようにもなりました。山鳥重先生と岩田誠先生という神経心理学の重鎮の知遇を得るきっかけを作ってくれたのもあなたです。そうそう、今度は河村満先生のグループとご一緒させてもらうことになりました。 最近は以前のように頻繁に会うことはなくなりましたが、高校生相手の授業を一緒にやらせてもらったこともありましたね。井上和子先生のお引き立てによるものだったと記憶しています。 ことしになって、心理学の高橋恵子先生からご連絡をいただき、金子書房の『児童心理学の進歩2015年版』に特別論文として萩原裕子さんの「言語発達、その神経基盤を中心に」が載るので、それに対するコメントを寄稿して欲しいというお話をいただきました。あなたの最近の仕事を知るには絶好の機会と思い、迷うことなくお引き受けしました。 裕子さんの特別論文とわたくしのコメントが掲載されている『児童心理学の進歩』が出版されたのはつい先ごろのことです。いつものようにメールをくれるはずだと思って待っていたのですが、代わりに届いたのは訃報でした。体調を崩していたなどとは思いもよらなかった。 あなたの訃報に接して考えてみると、あの特別論文は『日本語学』の連載以降のProgress Reportであったような気がしてなりません。あなたの論文に提灯持ちコメントはできませんので、「言語発達の脳科学 — 背景と限界」と題されたわたくしのコメントにはこんな率直な思いも加えました。 —–
実際、コメント対象論文を読むと、興味深いデータが数多く提示されている。問題はそれらのデータがなにを意味するかという点である。そのためには、当然、得られたデータを解釈するための理論がある程度、整備されていなくはならない。現時点では、その整備がまだ十分にはなされていない。コメント対象論文の中に散見される「(あるデータがかくかくしかじかのことを)示唆している」の類の表現は得られたデータの解釈に幅を認めなくてはならないことを反映しているように思われる。
また、研究の対象になっている領域も音韻や語彙が主で、文の統語的性質や意味的性質などへの言及はあまり多くない。ことばの本質的属性が文の構造に(も)反映されていることを考えると、この偏りは望ましい状況とは言えない。しかし、それは故なきこととは思えない。刺激文を作成する際、当然のことながら、文を構成する語を選ばなくてはならないが、幼児にあっては語彙の数が限られていることから、その作成に苦慮することが多い。また、文を刺激材料にした場合、その文構造処理のどの時点で、どのような神経過程が実現されるのかを特定する必要が出てくる場合があるが、それに応えることができるほど、時間解像能と空間解像能が高い脳機能画像法は(筆者の知る限り)まだ開発されていない。さらに、萩原自身が指摘するように、幼児は「計測時に体動などの動きが激しい年齢なので,データ収集は難し」く、文を対象にした研究の場合にはこの問題がより深刻さを増すことになる。
コメント対象論文は言語発達に関する脳研究のこうした課題を浮き彫りにしている。
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外国語教育との関連についても同様に率直なコメントを書かせてもらいました。
そうした率直な物言い故に、素朴な読者に妙な勘違いをしてもらっては困るので、最後はこんな具合にまとめました。
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最後に、念のために付け加えておきたいことがある。上で、ことばの脳科学も、認知の脳科学も、現在のところ、基礎工事的な部分も完了してはいないと書いたが、それはこの分野の研究の現状が貧困であるということを意味するものではない。基礎工事はいずれにせよ、なされなくてはならないものであり、そこで手を抜くと、禍根を残すことになる。萩原裕子によるコメント対象論文は、ことばの脳科学について、着実な基礎工事的作業の一端を垣間見せてくれる。
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これからの活躍を楽しみにしていただけに悔しさが残るけれど、受け容れなくてはなりません。
裕子さん、お疲れさま。 ありがとう。
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