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「「英語教育実施状況調査」の結果について」について続報、『現代思想』5月号

更新日:2020年3月20日


文部科学省が公表した平成30年度の「「英語教育実施状況調査」の結果について」http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1415042.htmという文書についての、みなさんのご感想・ご意見を整理し、わたくし自身の考えも織り交ぜて書いた、5月6日付の記事「「英語教育実施状況調査」の結果について」について」はたくさんの方々にお読みいただいており、うれしい限りです。


じつは、その記事をアップしてから、それまで以上にたくさんの方々(大部分が小中高の先生たち)からメールが届きました。その一部をご紹介します。「これまで自分一人で悩んできたのですが、同じ悩みを持つ仲間がたくさんいることがわかり、とてもうれしかったです」(中学校の先生)、「先生がこうしてみんなの意見を集約してくださることは非常にありがたいことです」(高等学校の先生)、「実は、このアンケート調査は私も現場教育として回答をした1人ですが、例えばスピーキングテストなどは、文科への建前として、やっていなくてもやった体で出した教員を何人も知っています。決して口外は出来ませんが、いかに当てにならない調査であることか」(中学校の先生)、「親たちは小学校での英語教育なんかあてにしていません。お金がある親は塾に行かせるのです。塾に行っているこどもたちは学校での英語の時間は発表会だと思っています。塾に行けないこどもにとってはつまらなくてしかたないようです。自分の力のなさを実感しています」(小学校の先生)。


以下、前回の記事と重なる部分もありますが、わたくし自身の考え(の一端)を書いておきたいと思います。

 「結果について」を読んで、まず感じたのはわたくしが普段から接している先生たちの話やわたくし宛に寄せられたおびただしい数のメールの内容から持っている状況認識とは非常にかけ離れているということです。この点は今回新たに寄せられた、先生たちのメールからも裏づけられます。

 念のため、「皮肉を込めた言い方ですが」という野暮な断りを加えて上で書きますが、「文科省の指導は行き届いている」ことがよくわかりましたし、「その指導に忠実であればあるほど成果が上がっている」こともよく描かれています。ただ、先生たちの声から、指導に忠実にならざるを得ない状況に追い込まれている学校とその裏で犠牲になっている先生たちの姿を読み取ることが大切だと思います。

「結果について」に描かれているポンチ画にある、「専科教員と学級担任が両輪となり、ALTを活用して」という理想と現実はかなりかけ離れているように思います。このことは学級担任からの相談メールからわかります。専科教員が勝手にふるまって困っているという趣旨の相談も数多く来ます。逆に、専科教員に丸投げのケースも多々あるように思います。さらに、「結果について」で報告されている先生たちの英語力から判断するとALTをきちんと使いこなせているケースはあまり多くないように思えます。メールにはALTに丸投げしているという声もたくさんあります。

ALTについてもう少し書くと、その資質についての報告がないのも気になります。JETプログラムによる場合はともかく、それ以外の場合には仲介業者が影がちらつきます。つい先日あったことですが、学年末の3月になってALT予定者が急遽帰国してしまったので、適任者がいたら紹介して欲しいという要望を貰いました。深刻そうだったので、心当たりを紹介しました。すると、その翌日、個人のつてではなく、しかるべき筋から、これこれの業者をとおせと指導されたので、話はなかったことにして欲しいという連絡が届きました。


『現代思想』5月号の特集「教育は変わるのか—部活動問題・給特法・大学入学共通テスト」には情報豊かな、読み応えのある論考が数多く収められています。英語教育については盟友江利川春雄さんが寄稿しています。国語教育については『国語教育の危機—大学入学共通テストと新学習指導要領』(ちくま新書)の著者である紅野謙介さんによる論考のほか、数編が取り上げています。阿部公彦さんの「読解力」論については改めて論じたいと思っています。

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