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発信、ギアアップ

更新日:2020年3月20日


ここ数年間、勤務先である明海大学で、副学長をはじめ、学部長、大学院研究科長、複言語・複文化教育センター長などを、ある時期にはすべてを同時に、務めていたこともあり、ブログなどでの発信の頻度が激減してしまいました。

今週末にでも改めてご報告いたしますが、この3月で最後まで残っていた副学長職も退くことになり、来年度は一教授として明海大学で仕事をいたします。いろいろな意味でチャンス到来です。これまでは得られなかった時間を大いに活用して、研究と教育に一層がんばりたいと思います。

さて、本日の朝刊は各紙とも、来年春から使われる教科書の検定が終わり、その結果が公表されたという記事が満載です。一面、社会面、解説面などでかなり幅広く取り上げられており、読み比べてみるとなかなかおもしろい。

わたくしのコメントは朝日新聞の社会面と東京新聞の特集面に掲載されています。朝日新聞では、「『読む・書く』が加わり、単語数や文型も多く、先生も子どももこなしきれないのではないか」と語り、「英語教室や塾で学ぶ子と、学校だけの子の間での英語への慣れの二極化が、さらに広がるだろう」と懸念する、とあります。東京新聞では、「母語の能力が十分育っていない時期に外国語を学ぶ影響を案じる見方もある」としたうえで、わたくしの「子どもの思考力が落ちており、基礎となる日本語をしっかりと形成する方が先。話せても中身のない英語になる」というコメントが掲載されています。

朝日新聞は編集委員の氏岡真弓さん、東京新聞は記者の原尚子さんが取材し、まとめてくれたものです。一度経験するとわかるのですが、長時間に及ぶことが多い取材から得た情報をきわめて限られた字数でまとめるというのは芸術と言ってもいいくらいのものです。とは言え、取材を受けた側としては、誤って受け止められたところが記事になってしまうと大変なので、取材者に注文をつけることも稀ではありません。しかし、今回は、ベテランの取材者でしたので、わたくしの意図するところをきちんと汲んでくれて、すばらしいコメントにまとめてくれました。しかも、これは偶然ですが、お二人がそれぞれ、わたくしの主張の別の面に注目してくれたので、二つのコメントは相補的になっており、ありがたい限りです。

それでも、やはり、限られた字数ですので、補足しないと、無用な誤解が飛び交うことになります。そこで、きょうの午後、その辺りの補足記事を改めて掲載いたします。

そうそう、この記事に貼り付けてある写真ですが、3月22日の朝日新聞夕刊に掲載された、連載「英語をたどって」の第8シリーズ第一回目の画像の一部です。ことし2月に沖縄の名桜大学で行われた、江利川春雄、鳥飼玖美子、斎藤兆史、それにわたくしの「英語教育界の4人の論客」によるシンポジウムに参加した、刀祢館(とねだち)正明さんが書いた記事です。わたくしたちの主張がこれまた見事にまとめられていますので、ぜひご覧ください。 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13945529.html?iref=pc_ss_date (「有料記事」になっていますので、無料で読めるのは一部分だけかもしれません。)

ちなみに、その第二回目には立教大学の松本茂さんが登場し、「英語教育改革はなかなか進まない」と嘆いています。こんな件もあります。

 いわゆる英会話ではない。読み書きも否定しない。ただし読むイコール和訳ではない。英語で読んだり聞いたりしたことに基づいて、考え、英語で意見を言ったり、やりとりしたりすること。

 「英語を」学ぶのではなく「英語で」学ぶことという。

 例えばこんな授業。

 東京の小笠原諸島には貴重な生態系がある。これを守ろうというのは当然だろう。一方、東京都は島民の救急搬送や島の経済を考え飛行場建設を計画した。あなたはどう思いますか。生態系を守るのか、それとも島民の暮らしか。あなたが都知事ならどう判断しますか。その理由は。生徒を新聞記者役と村長役に分けて会見するのもいい。そうやって考えさせたい。

 調べる、立場を決める、意見を持つ、やりとりする、発表する。記事を書くのも面白そうだ。こうしたことを授業で、生徒たちが英語で行う。たとえつたなくても。


いいですねえ。でも、なんでそれを英語でやらなくてはいけないのでしょうか。



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