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JACETシンポジウム報告

更新日:2020年3月20日





司会は大学英語教育学会前会長・現顧問の森住衛さんでした。


左に添えたものは、当日配布された資料です。発表時間は1人15分程度ということでしたので、論点をかなり絞る必要がありました。また、関連学会の代表が集まって英語教育への提言をすることの意味が事前に必ずしも明確にされていませんでした。

実際、盛り上がりに欠けるまま、シンポジウムも終わりに近づいていきました。そこで、わたくしが採った方略は、英語教育政策に大きな影響力を持つJACETの基本姿勢を批判しようというものです。英語教育界に身を置く人にはやりたくても、非常にやりにくい(あるいは、できない)ことです。幸い、英語教育界そのものには入っていない、しかも、それなりに齢を重ねたわたくしなら、その種の懸念なしに行動できます。

具体的には、資料の1ページ目の最後のほうに出てくる「JACETに対しては、学会としての自律性を厳然と保ち、文部科学行政に常に批判的な(「学会としての独自の判断に基づく」の意)目を光らせ、英語教育界内部だけでなく、広く社会に向けての情報発信をすることを強く求めたい」という部分の真意はこれまでJACETはそうした努力を十分には行ってこなかったという趣旨の批判です。 シンポジウムの最後に付け加えておいたのですが、発言はJACETがそうした努力をまったくしてこなかったというものではありません。学部生の頃からかかわりを持ち、JACETに対して(おそらく、標準的な英語学者・言語学者よりも)強い愛着を感じているものとして、普段からもどかしく思っていることの一端を述べたものです。 願わくば、これからのJACETを背負っていくであろう中堅・若手の会員にわたくしの真意が届いて欲しいものです。


「よくもまあ、あんなことをしゃあしゃあと言ってくれたものだ」という予想どおりの反応もありましたが、「あの一言がなければ、大津さんの言うように「凡庸な」シンポジウムになってしまっただろう」というコメントも数多くいただきました。


ただ、帰宅すると、「あんなに、オブラートに包んだ言い方ではなく、もっとはっきりというべきだった」というメールのコメントがたくさん届いていました。むずかしいものです。

何人かの助言に従い、あの日の夜は暗闇を歩かないようにし、後方から靴音が聞こえてきたときは人がいるところまで駆けていくようにしました。(^^)


ところで、翌日の9月1日はもう1つの全体シンポジウムがありました。こちらは「国内英語教育学会長によるこれからの英語教育のあり方—Session 1の提言を受けて」というもので、全国英語教育学会の卯城祐司会長、外国語教育メディア学会の竹内理会長、全国語学教育学会のKevin Cleary会長、大学英語教育学会の神保尚武会長が登壇しました。司会は寺内一さんでした。


こちらのシンポジウムで、大学英語教育学会、全国英語教育学会、外国語教育メディア学会が共同で、教育再生実行本部、教育再生実行会議の提言に対するアピールを出すということが発表されました。文書になって発表されてたわけではありませんので、概要だけを記すと、TOEFL等を大学入試に導入するという点に関わる提案で、センター試験を4技能統合型のものにし、それを国主導で開発導入する。その際、学習指導要領と学生英語力レベルを考慮する。韓国NEATを参考にする。関連諸科学等の知見を活用する。といったものです。


英語教育関係の学会がこうした行動をとることは喜ぶべきことですが、当日の印象を正直に書くと、発表方法も含めて、まだ十分な準備がなされていないのではないでしょうか。この点については、このシンポジウムに先んじて行われた総会での森住さんの質問とそれに対する執行部の反応を見てもあきらかであるかと思います。


三学会の会長たちはこうしたアピールを出すタイミングが遅れたことをしきりに気にしている様子でしたが、いまはそんなことを気にするより、内容の整ったアピールを、効果的な方法で社会に発表することに心を配るべきです。全国語学教育学会も加わることになるかもしれないという話もありましたが、それぞれの学会内部できちんとした検討をした上で、参加学会の代表で十分な摺合せを行わなくてはなりません。段取りもまた大切で、アピールを発表した後、会員から、「そんなことは聞いていない」というようなことがないようにしていただきたいと思います。


なお、JACETはこのアピールとは別に、独自のアピールを行うという話もありましたが、1つの学会が同じ案件に関して2つのアピールを出すというのであれば、そうする理由をあきらかにする必要があると思います。


さらに根本的な問題として、当日も発言しましたが、どうして大学入試の問題だけを取り上げ、「英語の授業は英語で」や小学校英語については取り上げないのかをはっきりさせる必要もあります。もっと言ってしまえば、大学入試の問題は他の2つの問題と切り離して論じることが可能なのかという基本的問題に対する検討が十分なされていないのではないかという印象を受けました。


拙速のそしりを受けることのないよう、慎重な議論を重ねたうえで、社会に対して考えを訴えてほしいと願っています。

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