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「怒り」の解説

[0]はじめに

数日前(2022年12月9日)にアップした「絶対に許せない!---ESAT-Jに関する都教委の対応」は現在まで当ブログとしては記録的な数(約3,500)の閲覧をいただいた。


今回は東京都教育委員会の不誠実さとあまりに貧弱な言語観・言語教育観をさらに鮮明に浮き彫りにするために、東京都議会での質問と答弁、学習指導要領の文言などをきちんと引用して前稿の解説としたいと思います。


[1]都議会での一般質問と教育長の答弁

2022年12月8日(木曜日)に開催された2022(令和4)年第4回東京都議会定例会本会議での一般質問に立った立憲民主党の阿部祐美子議員はその質問の中で中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)の問題を取り上げました。そして、それに対する答弁が浜佳葉子教育長によってなされました。以下に、そのやりとりを引用いたします。なお、この書き起こしは大津によるものです。また、録画映像はhttps://bit.ly/3Brijqfでご覧になれます。阿部議員による関連質問箇所は5:29:55~5:31:15に、浜佳葉子教育長による答弁箇所は5:34:25~5:35:21にあります。


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立憲民主党 阿部祐美子議員: 学校教育について伺います。先日実施された英語スピーキングテストは都教委監修のもと実施され、その結果は都立高校入試に使われることになっています。文教委員会では繰り返し「都立高校の入試におきましては義務教育の最終段階として学習指導要領で求められている力が身についているかを測る必要がございます」とご答弁があったように、授業中の発展的な学習ならともかく、都立高校入試の内容は学習指導要領の枠内に収めるのが前提です。その前提が崩れれば都立高校入試の範囲が拡大し、中学の英語教育を混乱させかねません。しかし、今回のテストでは助動詞と完了形による過去に関する推測表現という高校段階での文法事項を含む文が出題をされました。たとえそれぞれの単語が既出であっても意味を考えずに読むほうが有利になるようではスピーキングの力を測るものとは言えません。都教委は事前にテストの内容が学習指導要領の範囲内であることを確認したのでしょうか。逸脱していることを認識したうえでテストを実施したのでしょうか。この部分の点数も入試結果に反映させることは都立高校入試として不適切であると考えますが、都教委の見解を伺います。


浜佳葉子教育長: スピーキングテストの出題内容についてでございますが、都教育委員会は問題等検討委員会において学習指導要領に基きスピーキングテストの試験問題を検討し、作成しています。中学校外国語の学習指導要領では生徒が英語を使って何ができるようになるかという観点が重視されており、目的、場面、状況に応じて多様な表現を扱うことが求められています。その際、どのような文法事項を扱うか、また、小中高等学校のどの段階で扱うかについては制限する趣旨とはなっていません。今回のスピーキングテストの音読の問題は中学校で学ぶ単語を用い、場面に応じて英語として自然となるよう文を作成し、出題したものでありまして、学習指導要領を逸脱しているとの指摘はあたりません。

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阿部議員の質問の中にある「今回のテストでは助動詞と完了形による過去に関する推測表現という高校段階での文法事項を含む文が出題をされました」とありますが、これはPART AのNo. 2(音読問題)に出てくる「Do you drink tea? You may have seen that there's a new tea shop next to our school.(後略、下線大津)」という一節を指します。下線部は「(すでに)気づいているかもしれないけれどね」という「過去に関する推測表現」が使われています。この部分が中学校学習指導要領を逸脱しているというのが阿部議員の主張です。


それに対して、浜教育長は「中学校外国語の学習指導要領では生徒が英語を使って何ができるようになるかという観点が重視されており、目的、場面、状況に応じて多様な表現を扱うことが求められています。その際、どのような文法事項を扱うか、また、小中高等学校のどの段階で扱うかについては制限する趣旨とはなっていません」と答弁していますが、これは事実誤認です。


「【外国語編 英語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説」の38ページには「e 助動詞の用法」として「小学校で扱う助動詞は、canの「能力」を表す用法である。中学校で扱う助動詞は、can の「許可」や「依頼」を表す用法などである。その他に、must、must not、may、should なども中学校で扱われる。高等学校では、必要に応じて、助動詞の過去形、助動詞を含む受け身、助動詞と完了形を用いた過去に関する推測の表現なども扱う[下線大津]」とあり、下線部が該当するmay have seenが中学校での学習内容を逸脱していることは明白です。


これまで誠実さを欠いた対応を繰り返してきた東京都教育委員会に対してはいささか疑心暗鬼になっていますので、《いや、それは高等学校学習指導要領の解説に書いてあることであって、「中学校外国語の学習指導要領」にはそのような記載はございません》という反応が返ってくることを恐れます。


新任の中学校の先生が中学校学習指導要領だけしか読んでいなかったというのであれば、「学校教育のうち、幼稚園から高等学校までと特別支援学校等にはそれぞれの学習指導要領があり、少なくとも自分の担当教科等に関する部分は勤務校種に関係なく目を通しておかなくてはいけないよ」という趣旨の助言も必要かと思いますが、教育長はそういった助言をする側であって、される側であってはなりません。加えて、「都教育委員会は問題等検討委員会において学習指導要領に基きスピーキングテストの試験問題を検討し、作成しています」とおっしゃっていますのに、「問題等検討委員会」のメンバーは誰一人として、上で引用した高等学校学習指導要領解説を承知していなかったのでしょうか。


中学校学習指導要領からの逸脱は明白です。「ESAT-Jは、中学校学習指導要領に基づき、東京都が定めた出題方針により、出題内容を決めています。したがって、授業で学習した範囲の中から出題します」(ESAT-Jに関するQ&Aが東京都教育委員会のウェブサイト https://bit.ly/3iuEWnd)と明言してきた教育委員会の責任は重大です。まずは、この約束違反を中学生に謝罪してください。加えて、これまで公には沈黙を守っている教育委員各氏もこの問題についての見解を明らかにしていただきたい


阿部議員は質問の中で「この部分の点数も入試結果に反映させることは都立高校入試として不適切であると考えます」と述べていますが、これまでも繰り返し指摘してきたように時系列に従って解答していくスピーキングテストの最初の部分(PART A)でこのような問題が生じたことが生徒たちに与えた影響を考えると、ことの重大さはこの問題を採点から除外するといった処置で対処できる中途半端な性質のものではありません。


これ以上の混乱を避けるためにも、東京都は一刻も早く、ESAT-Jの都立高校入試への利用の中止を決断すべきです


[2]貧弱な言語観・言語教育観

第1節で検討した問題と関連しますが、もっと根源的な、問題が出題者側の貧弱な言語観・言語教育観です。


浜教育長は言います。「今回のスピーキングテストの音読の問題は中学校で学ぶ単語を用い、場面に応じて英語として自然となるよう文を作成し、出題したものでありまして、学習指導要領を逸脱しているとの指摘はあたりません[下線大津]」。つまり、《mayも、haveも、seenも中学校で学ぶ単語なのだから、may have seenが問題文に使われていても学習指導要領を逸脱しているということにはならない》という主張です。


この主張が成立しないことは前稿でもかなり丁寧に説明したつもりです。要点だけ繰り返せば、単語が集まってできる句や文は文法によって構造を与えられ、それによって意味が決まり、発音の仕方も決まる。May have seenの場合も、mayとhaveとseenは既習であっても、「助動詞+完了形」が未習で、それが「過去に関する推測」の意味を表すことや発音の仕方(助動詞ははっきりと、haveは弱く発音する)を習っていなければ、きちんと音読することは期待できないのです。


もしそんなことはないというのであれば、文を音読させる必要はなく、単語のリストの音読をさせれば済むことです。


浜教育長の答弁は「文は単語の寄せ集めに過ぎない」という、謝った考えに基づくものです。教育長はことばのプロではありませんから仕方ないとしても、問題等検討委員会や教育委員会のメンバーで、この答弁の危うさを指摘できる人はいなかったのでしょうか


都教委はESAT-Jは長い時間をかけて検討を重ね、慎重に準備してきたものだと強調していますが、今回の問題を見る限り、関係者の言語観・言語教育観はきわめて貧弱です。検討の段階で然るべき見識を持った人たちの支援を求めなかったツケが回ってきたと言えます。


すでに明らかと思いますが、今回取り上げている件は、単に問題の一部に学習指導要領の逸脱が認められるということだけではないのです。都教委は学校英語教育や入試におけるスピーキングの問題をもう一度根本から検討し直すべきです。その過程で、ESAT-J構想の出発点となった「東京都英語教育戦略会議」での議論https://bit.ly/3Po7L17を再検討する必要が出てくるはずです。


現在、東京都は「グローバル人材の育成」の旗印のもと、外国語と国際理解に関するさまざまなプロジェクトを推進しています(https://bit.ly/3UYTGIH)ESAT-Jはその一環に過ぎません。ESAT-Jを巡る今回の問題は、多額の予算をつぎ込んで進められている他のプロジェクトについてもきちんとした検討を行わなくてはならないことを明確に示唆しています。



[3]最後に

東京都教育委員会はESAT-Jの実施と都立高校入試への利用という従来の方針を死守すべく、不誠実で、理に適うことがない対応を繰り返しています。そのたびに、自ら傷口を広げていっていることに気づいていないのでしょうか。


中学生に対して約束違反を詫びる。それは決して恥ずべきことではありません。信頼の回復はそこからしか始まらないのです


【第1節で述べた、高等学校学習指導要領解説での記述については、新英語教育研究会会長の池田真澄さんがいち早く指摘された。本稿での記述も池田さんの指摘に負うところが大きい。言うまでもなく、文責はひとえに大津にある。】

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