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原口さんへ

更新日:2020年3月20日

原口さん、6月7日が近づいてきました。原口さんの最後のお弟子さんと言っていい水谷宗から「まもなく原口先生のご命日なので、呑みましょう」と言われていました。

金曜日は週の最後の講義が6時に終わるので、その後、よく明海マリンズへ行ってビールを呑みます。最初は水谷と二人だけでしたが、ここ数週間のうちに、学生や他の院生も加わるようになりました。ほんとうは来週の金曜日がご命日なので、その日がよかったのですが、あいにく、8日に京都でシンポジウムの予定があるので、深酒はできません。そこで、きのう、原口さんを偲びながら、盃ならぬ、ジョッキを重ねました、いや、並べましたかな。

学部生の中には、原口さんの講義に出たものもいました。原口さんが教室で講じていたのは言語学だけはなかったこともよくわかりました。『プラス思考のすすめ』に書いてあるような人生訓をたくさん語っていたようですね。「シラブルとはなにか」はすっかり忘れてしまっていても、人生を語る原口節は若者の脳裏に深く刻み込まれたようです。

「きょうはカラオケが大事です」という水谷のことばにのせられて、二次会はカラオケに行きました。あの店です。水谷が最初に選んだのが「せんせい」。「幼いわたしが胸こがし、慕い続けた人の名は」に続いて、「せんせい。せんせい。原口せんせい」と落す。ご満悦な表情が生き生きと蘇りました。

原口さんがいれば、《大津君、つぎは美浜へ行こう!》ということになって、美浜へ移り、結局、終電を逃して、新浦安泊となったことは目に見えています。でも、原口さん不在の今回は、黙って踏みとどまり、10時ちょっと過ぎに店を出ました。

*   *   * 1年前のあの日からいろいろなことがありました。原口辞令どおり、明海大学へ移籍しました。そして、原口研究室を見て、勝手に狭いと決め込んでいた、明海の研究室も、あれだけ本と書類が雑然と置かれていなければ、けっこう広いのだということもわかりました。

夜遅くまで研究室で仕事をしていると、ノックの音が聞こえて、あの笑顔の原口さんが《大津君、一杯やろう!》と誘いに来てくれるような錯覚を覚えます。どうして、せめてもう一年待っていてくれなかったのですかと愚痴の1つも言いたくなります。

きのうは、《あ、それは大津君の健康を考えてのことだよ。はっはっは!》と返してきましたね。

なるほど。

じゃあ、また。

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