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英文解釈シンポジウムを終えて

更新日:2020年3月21日


院生の永井です。

7月11日に慶應義塾大学三田キャンパスにて英文解釈シンポジウムが開催されました。今回は250人という決して少なくはない定員でしたが、当日もほぼ満員と、多くの方にご参加いただきました。スピーカーとして、江利川春雄先生(和歌山大学)、斎藤兆史先生(東京大学)、大津由紀雄先生(慶應義塾大学)の三人の先生方を迎えたシンポジウムは、始終熱気に包まれ、終盤にはフロアと登壇者による活発なやりとりも見られました。ここに、その備忘録として、簡単にシンポジウムのご報告をいたします。

 まず最初にお話いただきましたのは江利川春雄先生です。江利川先生は、そのご著作を一読すればすぐに分かるように、様々なデータに基づいて、綿密に、実証的に英語教育にアプローチされておられる研究者です。ご講演は、まさに噂に違わぬ、実証的で地に足のついた内容でした。江利川先生の議論の流れとしては、大きく、①「英語力低下の実態」②「英語力低下の原因について」③「改善策」とまとめることができるかと思います。

 まず①ですが、詳しいデータの内容は、江利川先生のご発表資料をご覧いただくとして、ここではごく簡単に述べさせていただきます。日本の学校英語教育は、いわゆるコミュニケーション重視の指導要領(1995年全面実施)に移ってから、11年連続で高校入学時の英語学力が低下、偏差値換算で7の低下が見られます。また、センター試験や和歌山県の学力テストでも気になる変化が見られ、国教研の調査では、英語嫌いが増えているという状況が明らかにされました。

 ①の実態を踏まえて議論は②に移ります。江利川先生は、英語力低下の問題は、日本の英語教育が、EFL環境である日本に対して、ESL環境で行われるべき教育を応用しようとしたところに根本的な誤りがあり、また、日本の英語教育において、Cumminsが提唱した、BICSとCALPの認識自体、そして、それらに応じた指導が不十分であることも誤りの一因となっていると指摘します。そのことから、EFL環境である日本においては、母語である日本語を活用することが有効であり、それがCALPの育成にも有効であると述べられました。

 そして②とも絡む③ですが、ここにおいて本シンポジウムと直接関わる「英文解釈法」が登場します。江利川先生は、「英文解釈」という言葉自体の定義から始まり、そして、歴史的に重要であった、英文解釈の参考書を多数取り上げ、それらがいかに日本の英語教育を良い意味でも悪い意味でも支えてきたかを語ってくださいました。それにしても、先生のご講演の中で、何十年も前にすでに、英語学習の核心をついた言明が多数なされていたことに気づくたび、先人たちの鋭い言語感覚に驚かされるとともに、歴史から学ばない、新しいもの好きの現代(英語)教育の危険性も感じました。さて、江利川先生の言葉を借りると、英文解釈法は「古代の漢文訓読法にルーツを持ち、明治の先人たちによってEFL環境の日本にふさわしい学習法として体系化された「日本の英学の歴史が生んだもっとも独創的な業績の一つ」である」ように、もともと日本人の英語学習にとって最適な、体系化された方法論です。ですが、現状は、そのような認識はあまり浸透しておらず、むしろ「訳読」と同じようなニュアンスで、不当に英文解釈が悪者扱いされていることはないでしょうか。(「訳読」と「解釈」は決して同じものを指しているわけではありません) 言うまでも無く、英文解釈なしに英文理解はあり得ないわけですから、英語教育における英文解釈(法)の有用性を(再)認識することがまず大切であり、その方法論については歴史から学ぶ姿勢を大切にし、それを現在の授業の中で、自分なりに発展させていくような、「英文解釈(法)」の積極的利用、そしてそれ自体の研究が今後重要になってくるでしょう。

 次にお話しいただいたのは、斎藤兆史先生です。斎藤先生は英文解釈や翻訳に関する多数のご著作をお持ちで、まさに本シンポジウムにうってつけと言える方です。斎藤先生のお話は、最初から最後まで明晰かつ説得力のあるものでした。

 印象深かったものとしては、英文解釈(法)と聞くと、つい「読むこと」の指導を連想してしまいがちですが、「聞くこと」の指導とも十分に接点を持ち得るということ(これはご自身が担当されたTV放送用教材を使われ、その見事なご発音とともに、例示をされました)や、英文解釈には(当たり前のようですが)英語教師の自身の幅広い見識を必要とすることなどがありました。

 それらの共通要素を改めて考えてみると、これまた当たり前の結論なのかもしれませんが、英文解釈にはおいては、「英語教師」が決定的に重要な役割を担っていることが分かります。例えば、英文解釈(法)を音声と結びつけるのも教師の能力や、工夫次第ですし、より深い解釈を行うための教材研究にも、教師側にそれだけの素地がなければなりません。

 また、学習者の面から見ると、英文解釈(法)は、良い指導者のもとで訓練を積むことが重要であると言われます。それは、英文解釈(法)は指導者(教師)なしにはなかなか身につけることができない技能でもあるからです。言い換えれば、英文解釈(法)においては、「教える(気づかせる)ものの存在」が非常に大きい意味を持っているのです。というのも、英文解釈の際に分からないことが生じた時、そのまま一人であがいていても永遠に分からないであろうという事態が多々ありますが(特に文学的な文章には頻繁に生じると思います)、教師のたった一つの助言によって、学習者はある視点に「気づき」、そこからは、霧が晴れたかのように、理解へ向かって大きく前進していくということはよくあるからです。そのような英文解釈の視点というのは、生徒よりも英語に関しての経験を多く積んできた英語教師であるからこそ見つけることができるものですし、だからこそ、それを見つけるために必要な背景知識そのものも生徒に教えることも可能になりますし、意味があります。

 斎藤先生のお話の中で、教師はgeneralistでなければならないというご発言がありました。英文解釈が必要だと言っても、そればかりに固執するわけでもなく、はたまた英文解釈を安直に読解指導とばかり結びつけるのでもなく、バランス良く取捨選択をしながら、授業を組み立てていくことが大事です。英語の技能の指導においてもgeneralでありつつ、さらに一人の人間としての教養と言う面でもgeneralである、そんな英語教師が増えること(増やすこと)が重要だと思います。

 最後にお話しくださったのは大津由紀雄先生です。先生のお話は、「認知科学から見た英文解釈法」ということで、先生のご専門の立場から英文解釈について語ってくださいました。大津先生もお話の中で、日本のEFL環境の問題に触れられ、加えて言語間距離の話をふまえ、やはり日本の英語教育には母語を利用した意識的な学習が必要であると結論付けられておられました。

  そして、その一つの手段として英文解釈が①日英語の文・文章構造の比較の点で、②効率的な解説と理解の確認の点で有効であるということでした。②は時間の制約のある、公教育としての学校英語教育であればこそ、必要な視点です。単純に考えれば、英文解釈は基本的に母語を用いて行うので、それは外国語を用いて行う場合より効率が良いのは明白でしょう。①は、比較自体が有効ということではなく、いわゆる大津先生がご提唱されておられる「ことばへの気づき」の育成につながる、その手段としての比較が有効であるということです。英文解釈を通じ、日英語の文構造・文章構造を比較・対照することで、学習者はことばへの意識を高め、それが最終的には外国語の学習を成功に導くだけでなく、母語の効果的な運用にもつながるということです。

 また、先生は英文解釈という言葉に含まれる「解釈」という言葉に焦点を当てられ、意味論的決定不十分性の例を出されながら、いかに「解釈」という営みが認知的なものであるかをお話しくださいました。(詳細は大津先生のご発表資料をご覧ください。) さらに、その「解釈」の過程に関わる「利用可能な情報」の中に、いわゆる「聞き手の人生に対する考え方」が含まれており、それゆえに、英文解釈(法)は人間教育の実践そのものなのである、というのは個人的にはとても面白いと感じました。そう感じたのは、英語教育の世界において「人間教育」という言葉はよく耳にはするのですが、何が「人間教育」なのか分析的に考えている人はごくごく少数だからです。ですが、今回の大津先生の考え方は、英語教育がなぜ「人間教育」なのかを少なくとも、認知科学的な視点を若干おりまぜながら、「分析的」に語られていたので、そこが興味深いと思いました。言語教育としての英文解釈(法)、人間教育としての英文解釈(法)と英文解釈(法)の持つ様々な(研究)可能性を強く感じたご発表でした。

 三先生方がお話になった後、安井稔先生(東北大学名誉教授)が、コメントをくださいました。安井先生は、『納得のゆく英文解釈』というご著作をお持ちのとおり、英文解釈に対して、一家言お持ちの先生です。先生のコメントの中で、印象に残ったのは、安井先生ご自身が学生として、英文解釈を学んでいた頃のお話です。当時安井先生は、福原麟太郎先生からご指導を受けておられたのですが、ある日どうしても分からない英文と出会い、悩んでいたところを、福原先生の一言で、目からうろこが落ち、英文解釈への眼が開かれたとおっしゃっておられました。まさに教師の役割の重要性が垣間見れるエピソードだと思います。また、安井先生は、英語教育における英文解釈の重要性とともに、英語教師自身が己の力量を高めることが重要だともおっしゃっておられました。これは斎藤先生のgeneralistのお話ともつながるものです。つまり、英語教育には英文解釈が有用であるけれども、その英文解釈を生かすも殺すも教師の力量次第ということです。このことは、我々には想像しがたいくらい英文解釈の場数をこなされておられる安井先生の言葉なればこそ、重く響きました。

 最後に、今回のシンポジウムを通じて感じたことを三つほど述べて報告を終えたいと思います。まず感じたことは、日本の英語教育政策がまったく変化しないことの奇怪さです。どういうことかと言いますと、江利川先生が月刊誌やご著作において、これでもかというくらいに、英語教育政策が生み出した否定的なデータをご提示しておられるのにも関わらず、それらに対する応答が、行政側からも、現在の英語教育政策肯定・推進派からも全く見られないということです。政策を変更しないということであれば、それはつまり現在の政策が上手くいっているということか、もしくは担当者が政策の評価をさぼっているか(数年前の「英語が使える日本人」というスローガンのもとに進めた政策がまさにそうでした)のどちらかだと思うのですが、前者であれば、現在の英語教育政策を肯定する人々は、その根拠をどこかで示す必要があると思います。そうでなければ、良いとか悪いとか以前に、議論ができません。 

 次に、英語教育の議論で使われる用語・概念の「あいまいさ」(ambiguityではなくvaguenessの意味)です。今回のシンポジウムのテーマでもあり、英語教育においても重要な概念と思っていた「英文解釈」という用語さえ、巷では共通理解がとれていないことがとても気になりました。また、この出来事を通じ、「人間教育」、「コミュニケーション」など英語教育界で議論の前提とされている用語がそもそも分析概念として不十分なことが思い出されました。(これらのことを真剣に議論しようとしている人は今でもごく少数です。) 私たちが普段自明視して使ってしまっている用語にいちいち気をとめて、本当に相手と理解を共有できているかを確認しながら、より厳密で建設的な議論をしていただきたいと思います。 

 三つめは、英語指導におけるバランスの問題です。いつの時代でも、どんな事でもそうですが、何か一つに偏よることは必ず問題になります。当たり前ですが、英文解釈法にしても、それがすべての問題を解決してくれるわけではありません。あくまで日本という現状をふまえた上で最適な指導を考えいくための、その一つの手段として、英文解釈法を授業に取り入れるなど、バランスのとれた英語教育を行うことが重要だということです。

 最後になりましたが、今年も、お忙しいところ、慶應シンポにはたくさんの人にお集まりいただきました。どうもありがとうございました。いつもながら聴衆のみなさまの、英語教育に対する熱意には驚かされました。次は、これもいつもながらのことですが、シンポジウムで得たものを、みなさまがどのように具体的なレベルにつなげていくかです。研究者がシンポジウムを開き、その講演に来られた実践者の方々が、各々感じたものを日々の実践につなげ、またそれをシンポや講演会・研究会に持ち寄ることで、研究と実践の好ましい循環が出来、それがやがて日本の英語教育を正しい方向へ導いていくわけです。すぐには変わらないかもしれませんが、一人一人が変えようとすること自体が重要だと思います。時事的な話ですが、選挙にしても同じで、自分の一票で政治がすぐに変わるということは無いかもしれませんが、それでも、自分がまず投票しなければ、変わる可能性は少なくとも期待できません。みなさまお一人お一人が日本の英語教育の担い手として、よりよい英語教育を目指して行動を起こし、また、このような機会にお集まりいただければと思います。あらためまして、慶應シンポジウムにご参加いただきありがとうございました。

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